生年月日 昭和8年、シンガポール生れ
犬種 ダルメシアン
性別 不明
地域 東京府
飼主 ナーク・ブンスリー氏
シャム(現在のタイ王国)公使令嬢 ナーク・ブンスリーさんの愛犬。
美しいダルマシアンといなせな植木屋さん―
どうです。ちよつと面白いコンビぢやありませんか知ら。此のダルマシアンは雨さへ降らなければ、毎日のやうに赤坂の豊川稲荷、青山御所の付近から乃木坂、或は又青々とした外苑の芝生などで、朝夕きつと見掛けます。
この犬が通ると、附近の子供達は「暹羅公使の犬」と囃し立てながらもうすつかりお馴染みになつて、何時でもぞろ〃と後を尾いて歩きます。今秋の中畜の共進會へ出陳されて、人目を惹いたラニー號が即ち此の犬なのです。
記者も子供達の行列の殿りを承つて、高橋是清さんの邸に沿ふて曲ると、もう其處には直ぐ臺町の暹羅公使館があります。
公使の一番上の令嬢で、目下聖心女学院へ通学して居られる、ナーク・ブンスリー嬢がラニーの御主人なので、公使館附の通譯江畑さんにお願ひして、お話を伺つて見ました。
「ラニーは大変可愛らしい犬でございます。今春まではお父様がシンガポールの総領事をしてゐらつしやいましたので、まだ同地に滞在して居りました時分、犬が是非一匹欲しいものですから、お父様におねだりして昨年買つて頂きましたのが、此のラニーでございます。
ラニーには兄弟姉妹が十匹程も居りましたのを、未だ漸くお乳離れがするか、しないかの中に江畑さんのお父さんのお世話で、とう〃家へ來るやうになりまいた。
其の頃ラニーのお父サンやお母サンは、フランス人に飼はれて居りまして、大層立派な血統を持つてゐました相で、ラニーもどうか立派に成長するやうにと家中で大事に致しましたのですけれども、矢張りデイステムパーと云ふ病気に罹つたり致しまして、随分可哀さうな思ひをさせました。私は四人姉妹の外に弟が一人居りますし、東京には六月に來ましたのですから、もう今日ではすつかり日本の風土や文化にも慣れました。
それに聖心女学院の英語科二年に在学して居りますから、お友達も出来ましてちつとも淋しくはありませんが、たゞラニーにはお友達が無くて淋しさうでございます。此の間上野公園の共進會へ出しましたのも、決して自慢だの宣傳だのなどではなく、實は何處かにラニーのお友達が居りはしないかと、探して頂くつもりでございまして、今日まで心秘かに便りを待つて居りましたのに、思ひがけない賞品などを頂いたゞけで、ラニーは今以て獨りぼつちなのです。
ですから、私は学校から帰りますと、何時でも裏庭の芝生へ出まして、ラニーと心行くまで遊んでやりますし、レツクス(ブルテリア牡十ヶ月)もまだ子供ですから、一緒に跳び廻つてふざけたり致します為め、ラニーに致しましても幾分かは気が紛れることだらうと思つて居ります。
其の上にお父様にしろ馬や犬がお好きでございますし、お母様は勿論のこと、此處で働いて居られる日本の方達にしても、皆さんがラニーを可愛いがつて下さいますから、ラニーは本當に幸福者なのでございますけれど、それでもきつと獨りになりました夜などは、矢張り獨りぼつちのことを淋しがつてゐるかも知れません。
ラニーは仔犬の時分には、ずつと牛乳で育つて参りましたのですが、只今ではもう日本の食物に何んでも馴れてしまひましたから、少しも不自由のやうなことは無い筈ですけれど、たゞお話をする時だけは如何しても暹羅語を使ひますし、ラニーの方でも亦暹羅語を良く解して居ります。
然し毎日の運動には出入りの植木屋さんが、朝と夕の二回必ず連れて歩いてくれますのに、ラニーとのお話は如何して居りませうか。
でもラニーは大変利口ですから、多分植木屋さんの言ふ日本語の意味もきつと良く解るでせうし、決して心配なことなどはございません。
ダルマシアンと云ふ犬の原産地は御承知かも知れませんが、オーストリーで昔は國境の番犬に使つたものだ相で、又一名コーチドツグとも申しまして、馬車の後をついて走り或は車や馬の間を駈け抜けて走り、其の技倆は實に美事でございます。
林善次郎「愛犬家訪問記・淋しさうなラニー」より 昭和9年
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ラニー(愛玩犬)
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