その昔、愛知県で使われていた猟犬。
数が激減した時期にチャウチャウなどと掛け合わせた「三州犬」として売り出され、それが純日本犬と勘違いされる騒動もあったとか。
今回はその辺の事情も含めて、戦時中の三河犬に関する記録を。
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地元の人達から三河犬を訊く座談會 昭和14年
主催
中部日本犬愛好會
會長
高澤彦七、山崎隆春
副會長
山本恵造
相談役
荒川真澄、浦川重右衛門、加藤丸一、後藤臺治
幹事
河村延吉
會計
杉下孝一
その他十数氏
記者
白木正光
高澤
これから座談會を始めますに當つて、簡単に御挨拶を申上げます。本會は杉下さん始め皆様の並々ならぬ御盡力によつて成立を見まして、既に會員も百七十餘名を算し、なほ續々入會の申込があります。會報も目下校正中で近々發行致します。
今夕は東京犬の研究社の白木氏も御列席になりましたから、同氏から御職業柄明るい各地の犬界の状況や、本會の今後の進路に就いての御意見等も伺ひたいと思ひ、座談會を催した次第です。なほ進行掛りに杉下さんをお願ひします。
白木
只今高澤さんからご紹介いたゞきました白木で御座います。よろしくお願ひいたします。只今高澤さんから私に何か話をせよとのことでありましたが、實は私が今夕参りましたのは、皆様から當地方の日本犬のお話を伺つて、それを誌上に発表したいと思つたからです。御存知とは存じますが、今日の日本犬界では三河犬のことがいろ〃と噂に上つて、最も問題視されてゐますが、それを地元の皆様はどうお考へになつてゐるか、定めし地元としてはいろいろ云ひ分もありませうし、又誤傳されてゐる點も多々あると存じます。さうした話を承つて誌上に発表し、一般犬界に三河犬の正しい認識を與へたいと存じます。
杉下
有難ふ存じます。實は私共も常々左様に思つてゐることで、御親切を感謝します。私共も追々腹蔵ないことを申上げますが、まづ最初に白木さんから三河犬のことを世間では一體どんな風に噂してゐるか、遠慮なさらずにありま儘をお話下さい。
白木
サア!なんと云つてよろしいか、一概に云ひますと、三河犬即ちチヤウチヤウの雑種と云ふ風に簡単に片づけてゐます。そしてその証拠に舌に黒點がある、気性がどうのと、餘りかんばしい噂ではありません。
杉下
いやその噂は私共も屢々聞いてゐます。何時頃からさう云はれたかハツキリしませんが、私の調べたところでは、既に七、八年前からあつたらしく、又そのチヤウチヤウの血の混入した経路に就いて、日露戦争後に支那からチヤウチヤウを連れて來たのだと某書に書いてありましたので、いろ〃調べましたが、その確証はどこにも見當りません。
白木
實際問題として、現在の三河犬には舌の黒いものが多いのですか。
山本
澤山ゐます。
白木
それは何時頃からです。
杉下
それでは三河犬の歴史に就いて、一番古くから飼つて居られる加藤さんにお願ひします。
加藤
私共の子供の時分、明治初年のことですが、その頃の日本犬には舌の黒いものはなかつた。毛色は主に茶と灰、黒等で、口吻は尖つてゐて、今日見るやうに襞のだぶついたものはゐませんでした。
白木
矢張り猟に使つたのですか。
加藤
さうです。猪猟、鹿猟などに使つてゐました。
長くなるので、複数回に分けて加筆していきます。
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三河犬
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