今や帝國軍用犬協會には五千名の會員と二萬頭の登録犬を有し、又日本シエパード犬協會には四千頭の登録犬と壱千名の會員を擁し、又軍部に於いても相當の頭数を訓練使用して居るそうである。
斯くの如く三位一體シエパード犬の為めに真摯に努力せられつゝはるは、誠に軍犬報國と平時の警察、軍用犬に貢献せらるゝ事の大なるを思ひ、欣快に堪へない所である。
然るにシエパード犬種の高價にして、一般愛犬家の購入困難なるを好機として、盛んにシエパード類似犬の産出を圖りつゝあるを見るは、甚だ寒心に堪へないものがある。之が為め骨格、體型、毛色等にいかゞはしきものが時々所々に出現を見る次第で、斯かる奸狡の輩に乗せられぬ事こそ肝要である。
尤もシエパード犬党の中にも心得違ひの者があつて、飼養管理などには全然無関心、放し飼ひをなし、皮膚病や寄生蟲、其の他傳染性疾病などには何等の考慮も拂はず、犬は元来丈夫なものであるから放つて於いても宜敷い、又シエパードは軍用犬で生来怜悧であるから別段訓練をせずとも、自然普通の芸位は覚えるもの、そしてシエパードは噛み附くものなりとして、咬傷する位の事は當然のことで噛み附かぬ位のシエパードは何の役にも立たぬと考へて居る。
無関心と言はうか、無理解と言はうか、相當の識者と思はれる愛犬家にして尚且つ斯かる言動をなす者あるを聞くは、シエパード犬界の為めに遺憾に堪へぬ處である。
然も尚斯かる人士と真にシエパード犬を理解飼育せられてゐる奉仕的愛犬家と同一視せられる虞れあるは、實に残念この上無いことである。
警視廳犬の相談所に於いて取扱つた咬傷問題竝に其の他の實例から、如何にシエパード犬飼養者の中に、シエパード犬本来の目的を没却した、無理解な人士が居るかを、少し拾ひ出して観よう。
(一)麻布の或る富豪愛犬家は、生後三、四ヶ月のシエパード犬を三百圓で購入したが、購入した當夜、何者かの為めに其の犬を盗まれてしまつた。其の犬小屋には、犬に與へたと思はれる菓子の袋が残されてあつた。
斯くの如き不注意は、真にシエパード犬を愛するものとしては、相當に考へねばならぬ處ではないか。
(二)駒込の某愛犬家のシエパード犬(生後約一年、時價六百圓と称す)は、運動訓練中に逸走行方不明となる。
(三)杉並區の某軍人は満洲で軍用犬として用ひられた自慢のシエパード犬(三歳)を彼の地から連れて來て邸内で放し飼ひしてゐた。所が、これが時々垣を跳び越えては、隣家の植木を荒らす。或る時、隣家の主人公が外出の折、丁度垣を跳越えた件の犬が、其の主人公に咬附き、五針か六針を擁する重傷を負はした。
(四)曳運動の際、通行人に咬附く。
一々例を挙げるまでもなく、之は相當に多い様である。近来シエパード犬の為め、シエパード犬の曳運動に際し、市中の一般子供にも一見してシエパード犬だと分かり「あれは軍用犬だ。耳が立つてゐる。噛み附くぞ」と噛み附くものと子供も思つてゐる。
曳運動にも充分注意せられたい。
或る犬の如きは、曳運動に際し厳重に口輪を嵌めてゐる。之は咬癖があるか、或は調教や訓練の未完成で、噛み附く虞れがあるからで、其れだけの用意はありたいもので有る。
(五)近来警視廳の捕獲野犬の中にシエパ―ド種の雑種犬が相當見える。之はシエパード犬の流行を物語ると共に、又放し飼ひに因る無関心な例證ではあるまいか。
(六)シエパード犬の廃犬を申し出る者が増加した。その理由を尋ねるに、最初は珍らしさに心を惹かれてシエパード犬を飼つたり、或は又単にシエパード熱に浮かされて此の種類のみが軍用犬と思ひ勿論税金(※畜犬税)は免除されるものと信じ、又元来悧巧な犬だから訓練も容易であらうと早合點し、さうかと思ふと友達が飼つてゐるから飼つてくれと子供にせがまれて、仕方無しに飼つた。所が犬は段々大きくなるに従つて世話が容易でない。それに家族で其の世話をする者がないので、どうにも飼ひ切れない。
又通行人や来客、時には家族の者にさへ歯を立てると云ふ様な始末では、却て物騒で困るから、廃犬を申し出たと謂ふ譯で、折角飼育した犬を訓練して實用犬にする迄の関心の無い愛犬家も居る。
廃犬申込み者の中には、廃犬にして、唯捨てるのも勿体無い。買ふ時は相当の値段だつたのだから、相當の値で引取る向を紹介してくれと申し添へて来る者もある様である。
以上の数例に依つて観ても、シエパード犬飼育者が真の理解の許に飼育されたかどうか一つの疑問符を打たれても仕方ないであらう。
現在東京府下に於ける畜犬総数五萬頭の中、民間飼育のシエパード犬は約五千頭であつて、果していづれの程度の良種に属するかは不明であるが、現在市内数十軒の畜犬商を覗いても、其の店頭には常に二、三頭のシエパード犬が飾られてゐる實状から考へても、シエパード犬は遺憾に現代軍犬界の寵児とされてゐるか想像するに難くないのである。
之に由つて是を観るに、シエパード犬飼養者は尚一歩進んで、シエパード犬の再認識が必要であると考へる。即ち日本的のシエパード犬作出も考へ得るのではなからうか。
獨逸原種のシエパード犬が亜米利加に於いて研究され、アメリカンシエパード・ドツグと称せられる様になつたと聞いてゐるが、其れと同様に日本に於いても日本シエパード犬種を作出して、真に日本的のシエパード犬、即ち日本の気候、風土と食物に適した吾々のシエパード犬として實用されるものを作出せられる事も一考あつて然るべきであらうと思ふ。そして一朝有事の際は、真の日本シエパード犬としての能力を発揮せしむる事こそ誠に愉快ではないか。
今警視廳に於いては帝都の治安維持強化の為に、警察犬の復活を目論みられてゐる。
曩に、大正元年より八年迄、警察犬数頭を飼養してゐたが、其當時警察犬に對する認識と理解に乏しかつた為め、遂に廃止のやむなきに至つたのに鑑み、犯人逮捕と云ふ大きな期待を持たず、先づ警邏犬として使用し事件突発に際して犬の鋭敏無比なる嗅覚を利用し、試験的に捜査に當らしめ、漸次警察犬の陣容を充實せしむるものと観られる。
現在、我國では、狂犬病も殆んど撲滅したと言つてよい位に該病は少くなつた。
大正十三年に於ける狂犬は東京だけで七百二十六頭、全國では、三千二百七十七頭に及んで居り、同年東京では狂犬病のため死亡した者二十名、全國では七百二十三名の患者(全部死亡)を出した。
此の恐るべき狂犬病の猖獗も、警察関係當局の撲滅方策に對する不断の努力と愛犬家各位の本病に對する理解、及び一般民衆衛生に對する知識の向上、之等が一つになり、官民一致の協力に依つて、本病は根絶された状態に立ち至つた。
即ち、昨年東京に於いては七頭、他府縣で二頭、合計九頭の狂犬が現はれたに過ぎず、又本年は東京に二頭の該病を見たが、其れはいづれも野犬に發病したものであつて、畜犬には一頭も無かつたのである。
斯く狂犬病は根絶されたと云つて宜敷い状態にあるから、斯かる機會に各犬種の團體も挙つて良種犬の蕃殖、或は其の性能の向上発展を圖るは好機を得たものと云ふ事が出来よう。
そしてシエパード犬に於ては、前述の如き日本シエパード犬種、引いては世界に打表として送り得る優秀なシエパード種なるものを作出して、四年後に於けるオリムピツク或は観光團の来遊を機として、如何に日本シエパード犬種が優秀なる発達を遂げたるかを誇りたいものだ、と考へる次第である。
単に日本内地に於いて誇るのみではない。シエパード犬の祖國獨逸へも日本シエパード犬種の名声を廣める様な発達を期することも、やはりシエパード犬再認識の一つではあるまいか。
敢て愛犬家識者の御批判を乞ふ次第である。
「シエパード犬再認識」より 警視廳獣医課犬の相談所主任 荒木芳蔵
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警視庁から見たシェパード事情 昭和11年
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