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Channel: 帝國ノ犬達
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隼(宮内省御猟犬)

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生年月日 明治33年頃、鹿児島生れ
犬種 猪犬
性別 牡
地域 静岡縣
飼主 宮内省

樺山資紀が宮内省に献上した鹿児島産の御鹿猪猟犬。
明治38年12月23日、天城山中での御猟中に大猪と格闘となり、腹を切り裂かれて死亡しました。
後年になって「高貴なる人に襲いかかる猪と戦った」「東郷平八郎を護って猪と戦った」など、尾鰭をつけたウソ八百の話が宣伝されます。

犬
天城御猟記念写真
明治三十九年十二月十五日、川津口佐野入にて撮影。
猪は上村将軍の射止めしもの。中央鳥打帽東郷大将(※東郷平八郎)。
その左中折帽樺山大将(※樺山資紀)
東郷大将の左側鳥打帽上村中将(※上村彦之丞

天城の御猟は明治三十七年より始り、其の年より長野村の先き、上大見村字筏場村に御猟犬を預け、「隼」は他の「山」、「與十」の二頭と共に樺山大将が鹿児島第一の猪名犬として選抜献上されしものであつて、筏場村梅原金太郎の支配預りと云ふ。
御猟は宮内省狩猟官の出張あつて十二月中、約一週間に亘り行はれるを例とした。
明治三十八年十二月二十三日の御猟のとkは、主猟頭米田男爵出張あり、樺山、黒木両大将も参加されし筈なるも、東郷大将は御出にならず同大将の御出でなりしは翌三十九年の御猟のときと云ふ。
隼の猪と戦つたのは現在の碑のやゝ二十間ばかり上の方であつて、篠笹のため身をかはし兼ねしものゝ如く、同人始め人々の馳せ着けた時には笹に點々血を染めながら格闘し居つたと云ふ。
猪を射殺の後、隼を調べたるに左横腹に約五寸ばかりの猪にかけられし傷あり。大腸約一尺ばかり露出し居り、兎にも角にも御犬のことなれば、手當てのため筏場村まで背負ひ下したが、格闘中自分で噛んだものか腸に噛傷痕あり手當とゞかず、其の日中に死亡せるものと云ふ。
再び死體を現場に運び、格闘地の側、筏場長野両村の境の嶺の椿の根元に埋め、後同犬の飼育管理人塩谷吉衛が碑を建てたが、数年後附近に杉苗移植のため少しく下の方、樵道の側に移したものと云ふ。
隼は年齢五歳位、白黒斑、耳半立、尾は牛蒡尾、細型の中型の小位の體格の牡犬。
山は中型の中體格、赤、立耳、巻尾の牡。
與十は中型の小體格、立耳、淡赤、差尾の牝犬。後年出産のとき子宮外に出て、宮内省に御返し手當せるも死亡。
齋藤弘「御犬隼と天城犬」より

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