昔から馬の脚五年といつて、とにかく役者になつて精励五ケ年、馬の脚が務まるやうになれば、俳優学も第一課に踏入つたやうなものとしてある。
自體馬の脚に限らず動物になる役者といふものは、どうもパツとしない。折角一生懸命にやつたところで、結局は御景物扱ひだ。
この恵まれない役も、喜んでやつてくれなければなり立たない芝居がある。
五月の第一劇場で開演中の新國劇の「江戸の虎退治」には、ナンとこの恵まれざる動物が二匹(おツと、これは失禮)、二人も出演してゐる。
林茂夫の犬クマ公と、大谷雪之助の虎がそれである。
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君は犬が好きですか。
犬氏「とんでもない犬嫌いでさ。嫌ひといふより怖くつて、ラヂオで犬の啼き声を聞いてもおつかなびつくりする方ですよ。その僕にナンの因果か犬の役がふりあてられて、胆を潰しやしたが、なにしろこの芝居では重要な役目を背負ふ犬なので、ベストを盡してつとめてゐます」
しかし犬つぷりは満點ですが、どうして研究したんです。ソンな怖がりの癖に……。
犬氏「いやすみません、まづモデルを見つけました。天佑といひませうか、僕の近所にそれは〃おとなしい札付のポインターがゐましてね。これによつて仔細に研究しました。もちろん遠くからですがね。でもなんだかテキがにらみ返してゐるやうな気がしてビク〃ものでした。
しかしそれで大分自信がついたつもりで、いざ稽古をやつて見るといち〃みなさんの気に入らない。すつかりクサツちやいましたよ。それといふのも、この(新國劇の)理事の俵藤さん、この芝居の監督谷屋さん、主役の島田さんが揃ひも揃つて軍用犬マニアで、それ〃ゴ自慢の愛犬と寝起きもともにしかねまじき凄い連中と來帝るので、健康な犬はかう、病犬はかうと、犬の習性ならピンからキリまで知つてゐるといふ人たち。わけても父親為五郎に扮する金井さんなど、交尾期の状態まで心得てゐるといふんですから、インチキはテキ面、「林、それぢや洋犬ぢや」と、僕のネタをすつかり看破してしまつたのには、すつかりシヤツポを脱ぎました。島田さんのすゝめで長谷川伸先生の御愛犬を拝見に伺ひました。
ところが先生のお宅の日本犬は、前回のポインターとことかはり、その獰猛さ、一目見た瞬間體のふるひがとまりませんでした。
しかしこれもお役目大事と真蒼になつて検分数刻、會得したのがお目にかけてゐるクマ公の舞臺姿……」
なるほど、涙ぐましい苦心談ですね……。
白木正光「人一倍苦心の動物になる役者 犬氏を楽屋に訪問」より
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新國劇「江戸の虎退治」 昭和12年
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