一年々々犬を飼ふ人が増えて來ます。
つまり愛犬家が増えて來たのだと云へます。軍用犬などの流行も随分犬好きの人を増やした事になつてゐませう。
しかし僕は、愛犬家の増えたことを人から聞く度にこんな氣持がするのです。それは昔から犬を飼つてゐる人、つまり犬の好きな人が随分あるのに、何故近頃愛犬家が増えたと定つて云はれるのでせうか、と。
それについて僕はかう思ひます。
西洋種の、金のかかつた犬を飼ふ人が増えて來る事を指して、愛犬家の増えて來るといふのではないか。それなら愛犬家増加とは非常にイヤな流行語であると思ひます。
何の何種と云ふことの出來ぬ雑種犬でも、可愛いがつて育てる人があれば、それが取りも直さず、立派な愛犬家と云へる譯ではありませんか。
僕はさう思つてゐるのですが、でも犬通は左様は云はないやうで、舶来の高價な犬を飼つてゐるやうな人ばかりが愛犬家だと云ひます。
愛犬家と云ふ意味が果してさうであるとするなら、私は愛犬家から籍を抜きたいと思ひます。
高價な犬だから當の飼主は無論、使用人まで犬を大切にする。
こんな犬は何處にでもゐる犬だと云つて粗末にする。
かういふことは趣味の物、例へば書畫、骨董、盆栽などには得て有勝ちです。無論書畫骨董類にあつても、これはよい話ではありませんが、まだ我慢が出來るとして、犬は生物なのですから、そこを考へてやりたいものです。
右も左も分らない子供、可愛いゝ子供、それを抱いてゐるために、群衆の中で誰れでも譲歩してくれるやうに思つてゐる親がありますが、こんなのは醜いものです。
非常に高價な犬、大切にしてゐる犬、それを連れてゐるために、他のどんな犬にでも横暴迫害を加へて行けると思ふ飼主。
これも亦醜いものです。
大體犬は大昔から人によく慣れる動物で、而も正直なものです。
だから飼主の飼ふ氣持ちによつては、犬も亦随分その氣持の様にならないとも限りません。
犬は飼主の性質により同じ様になると云はれてゐます。かういふ譯で、飼ひ主の飼ひ方、飼ふ氣持ちの如何によつては、人に可愛がられるべき犬も、憎まれることになるかも知れません。飼ふ人は、この點に氣をつけねばならぬと思ふのです。そしてすべての犬を平等に愛さなければいけないと思ひます。
往來を無心に家へ急ぐ犬に、何の理由もなく石を投げる子供。こんなことがあるので犬も真つ直ぐに、正直になれないとも云はれます。
一體どつちが悪いのですか。
大體犬は正直な、忠實な動物だと僕は思つてゐます。
藤井浩祐「真の愛犬家」より
この当時の藤井浩佑さんは「浩祐」だったんですね。