アメリカで介助犬が誕生したのは1970年代。日本で本格的に運用され始めたのが1992年。
似たような能力を持つ盲導犬(常用誘導)は、既に戦前のドイツで記録されています。これは介助の専門訓練を受けた訳では無く、優れた盲導犬が介助犬的な能力を発揮したケース。
我が国でも、下記に出て来る失明軍人誘導犬「ルチルド」
の話がありますね。真偽は不明ですが、当時の日本で介助犬が知られていたのも事実。
「『良くしたものですね』
『えゝ、その友達が、此の犬を仔犬の時から育てゝ居て、便に連れ出す時、必ずオシツコつて出したので、
自然それが出来る様になつたのでせう。
冬の寒い時分、炭が欲しい時は部屋の隅から炭かごを持つて来て呉れるし、又元の所へ持つて行つても呉れるのです。
タオルや煙草やマツチ等も向ふのテーブルから持つて来て呉れるのです』
タバコとかマツチの言葉を聞いた為か、その犬は又立ち上がつてH氏の膝に顔を持つて行く。
『あゝさうか、タバコとマツチを持つて来て』
犬はいそ〃と向ふの低いテーブルに行つてl、先づタバコを持つて来たが、直ぐ引かへしてマツチを持つて来る。
『よし〃』
見てゐると、此の小さな動物が何とも云へずいぢらしく、可愛ゆくなつて来る」
「盲導犬の黎明」より 昭和14年
これ以外でも、我が国の介助犬は戦前から存在していました。
足の不自由な人々を車に載せて牽引する、輓曳介助犬です。
戦前の輓曳介助犬。 昭和9年頃の記録
この輓曳介助犬は珍しい存在ではなく、関西地方では昭和初期から運用されていたそうです。
体が不自由ゆえに職にもつけず、喜捨を頼りに生きている人々がいました。
彼等が移動手段として使っていたのが犬車です。
昭和12年の記録をどうぞ。
「私は夕方ぶらりと阿部野橋筋へ出た。夕方のこの大道は交通地獄の名に背かず車、車、車でタクシーなどの動きを見てゐると、連結自動車發明のヒントが得られさうなほどだ。
北へ北へ北へ、南へ南へ南への自転車には、出先で油を売つてゐたのか慌てゝ速いのも、集金が思はしくなくてどう言訳したものかと遅いものもゐる。
その中に、いよう!これは、これは!
素晴らしい車が南する。こましやくれたロードスターやダツトサンよりも遙かに素敵な箱車だ。
リヤカーほどの大きさの箱を一頭のポインター雑種が牽いてゐる。
馭者は天王寺から大和川の塒へ帰りを急ぐ。車上悠然と英國紳士のやうな重厚なすまし顔でハンドルを把り、犬を操つてゐる。
犬のトロツトは軽快で顔の表情にも私の心なしか働くものゝ愉悦が漲つてゐる。
スピードは小店員君の自転車よりも速い。
車が交叉點のストツプにかゝると、犬はピツタリと止まる。
ゴーでの発進も鮮かなもの。
眼まぐるしい車の綾の中を危気なく抜けてスマートな?箱車は南の夕靄の中に消へて行つた。
とまた眼の先へ同じやうな車。
今度のは二頭立てである。
続いて一臺、二臺、三臺と私は深い興味をもつてその数を暗くなるまで数へてみたら、堂々實に三十一臺。
一臺の車には大抵二三人乗つてゐたから、全員自家用車御通勤といふ勘定になる。
思へば羨ましい御境遇である。これから先の駄文のオチは多分お判りでせうね。では誌面節約」
村上耕三 昭和12年
これは村上さんが10年振りに帰省したときの目撃談。
大阪を離れた10年前には見掛けなかったそうですから、ごく短期間で普及したものと思われます。
犬車導入に際する、行政・警察・福祉団体・畜犬団体等の関与については不明のまま。
「都会版の犬橇」ともいえる、特異な輓曳犬であったのでしょう。
非常に興味深いのですが、記録が少なすぎて調べることもできません。
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介助犬
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