昭和13年、商工省は野犬毛皮を統制下に置きました。三味線などのゼイタク品として消費されていた犬皮を、国家の軍需物資としたのです。
この動きに便乗する輩も続々と現れました。中でもぶっ飛んでいたのが「役立たずの駄犬は陸軍が撲殺すべき」と陸軍大臣にねじ込んだ北代議士。
畑陸相が「愛犬家の気持ちも考えないとね(そもそも、畜犬行政は陸軍省じゃなくて内務省の管轄だろ)」とやんわり拒否して終わったのですが、この手の選良や官僚や一般庶民は多数派を占め始めます。運が悪いことに、同時期の節米運動も拍車をかけました。
商工省と並んで犬を敵視したのが農林省。そもそもの発端は、家畜の毛皮生産が落ち込んだことでした。
狩猟法を管轄する関係から各地の猟友会に野獣毛皮の献納を呼びかけた(いわゆる「狩猟報國運動」です)ものの、結局は焼け石に水。鳥獣の毛皮すら足りなくなった昭和16年、農林省も犬皮を統制対象としました。
農林省の動きは、ハンターたちに少なからぬ動揺を与えたようです。
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強心臓の所有者を以て自認する諸兄の中にも、過去に存在した一部贅澤な道楽趣味的の狩猟家と誤認されるを惧れてか、随所に行過ぎの萎縮者を見うける。
この事は、「狩猟報國」を以て、銃後奉公の任を全うせんとする、我が猟界人のため慨歎に堪へない次第ではあるまいか。
狩猟報國とは、云ふまでもなく農作物の害鳥獣を駆除し、毛皮、肉類等が戦時経済に寄與する處を指すものであつて、各個人の猟獲に依る數字は僅少なれども、これが全國の狩猟家を網羅した統計となれば、實に驚くべき數字を示し、その戦時経済に及ぼす點も、なか〃ゆるがせにならないのである。
従つてこの戦時下に於て、貴重なる物資を弾丸の材料として消費はするが、一面から見る時は、我々が狩猟によつて得るところの、毛皮、羽毛、肉類、また各自の納税金等々が、實際的に國家に裨益して居る点も大きい。
然して我々猟友は、一般銃後勤労に努め、中でも大阪府に於ては、府下猟友團體が結成し、国防義勇團として活躍して居るのも刮目に値する。
また兎皮、羽毛の献納に於ても、各自が一層猟獲に努力するなれば、より増産の可能性あり、例へば嘗つて穂洲先生の名文になる「ネド安」式の猟法に依るなれば、失中は猟獲に逆比例するであらうが、聊かアン・フエアー氣味ではある。
我國では「犬の仔は只で貰ふものなり」と云ふ先入観や、或は「犬も歩けば棒にあたる」とかの諺等から、一般人は総てに犬を見る眼が皮相的であつて、中に は實物に比すべき優良な猟犬にまで、自粛の履き違えから圧迫を加へやうとして居るが、これは明かに國家的の損失を招くものを云ふべきである。
即ち戦時下食糧問題に籍口して、畜犬絶滅論を唱へるものが名士?と称するものゝ中にあるのがその類であつて、斯る論は皮相の見に基く愚論でしかあり得ない。
しかもそれに依つてゞはあるまいが、穂洲先生の謂はれる如く、近頃モグリ犬殺しの横行は實に慨歎に堪へない。或る友人は白晝寸時の間に愛犬を盗まれ、或る友人は夜間運動に出して、一寸の油断からこれも犬泥棒に盗まれて憤慨して居る。
諸兄よ、宜しく犬泥棒と犬殺撃退の自衛手段を、各自に於て講ずべきである。
嘗つて神聖なる議会で、畜犬撲殺論なる暴言を臆面もなく吐いて、世の真の愛犬家からノツク・アウトを喰つた政治家があつた。
これは自身では名論と思つて居るかは知らないが、それは自らが犬の真価を知らぬものであつて、犬の中には徒食して居る人間様よりも、はるかに有要な働きをしつゝあるものがある。
だから一概に犬と云つてもピンからキリまであり、猟犬や真の軍用犬の如く、有要な働きを為しつゝある犬と、単なる愛玩的の犬や野良犬と混同すべからずである。随つて名を軍用犬にかりてその能力なきもの、或は野良犬等は、片端から眠らせて貰つて一向に差支へはないのである。
一般の猟犬が國家に齎す實益なるものが正しく認識されば、猟犬と非猟犬の存在的價値が判然とするであらう。
茲で試みに、實際に猟犬が食糧問題に寄與する點に就て、概略的な數字を挙げて見ると、全國の猟犬拾萬頭とし、一日三合の米を給與するとして年額僅々三萬石餘に過ぎない。中には家庭の残肴によつて飼はれて居るおmのもあるから、それ等のものは殆ど給食問題とは無関係のものであるとも謂へる。
然るに我が國に常住し、或は季節的に渡來する野鳥獣の數は數百千萬を越ゆるもので、これ等鳥獣の農作物に與へる被害たるや、蓋し想像以上に莫大なるものであり、最低に見積つても米拾萬石を下らないであらう。
それ等は秋稲の収穫される前に獲つた、鳥の胃袋から現はれる夥しい籾によつて、その害の如何に甚大であるかゞ首肯されるであらう。
この點に就て、よく農作物に於ては害蟲の被害が問題になるが、害蟲が作物の種子に對する害は僅少であり、また害蟲發生の害は、その害が部分的のもので、全國的から見る時は、その害たるや割合に少いにも拘らず、それが目立つものであるが、野鳥獣の被害は全般的であつて、それが割合に表面には目立たぬが、その實害たるや、我々の想像以上のものがあるのである。
諸兄も経験があられる事であらうが、禁猟區の付近を銃を持つて通行すると、農夫が野鳥獣の實害を訴へ、中には内密で打つて呉れと懇願される事がある。
この點によつて見ても野鳥獣が農作物に與へる害が如何に甚大であるかゞ知られるのであるが、現在の法をもつてする時は、狩猟免状の下付を受けたもの以外は、それ等の害鳥獣を捕獲する事が許されない。
随つて農夫等はたゞ姑息なる手段によつて、その害を除かうとして居るが、實効はなく、たゞ指を咥へて見るのみで、その害を除くは、狩猟家に限られて居る。
狩猟に於ては、猟犬が常に主役となつて鳥を狩出し、射手がそれを射獲するのであるが、その鳥獣は、狩猟法の定めるところによつて害鳥獣以外のものではない。随つて猟犬は害鳥獣捕獲の主役的な存在であり、その獲物の毛皮、羽毛、肉類は物資乃至食料となつて、國家に貢献するところが甚だ多い。
即ち猟犬は狩猟家の片腕となつて、鳥獣の害を除く一役を勤め、且つ自己の食料に幾倍かする食糧や物資を提供して居る事に世人は刮目すべきである。
されば、猟犬の役目たるや、實利正に一石數鳥とも謂ふべく、それが一般の飼犬と同一視されて居て、暴論ながら、撲殺論の中に巻込まれるは如何なものであらうか。
凡兒主人公の言にはあらねど「聯合猟友會のお歴々は何をして居る乎、猟犬の食料問題は如何になつて居る乎」と聲を大にして叫びたいのである。
我が愛する諸兄よ!この際、聊か我田引水論の傾きはあるとも、平素の真臓を發揮して猟界犬界のため、正しき論陣を張るべきではあるまいか。
長谷川三葉亭「猟界漫筆」より
「お前は何を言っているんだ」的なこの詭弁こそが、戦時下におけるハンターのサバイバル術。
軍用犬団体も、猟犬団体も、他の犬を犠牲にしてでも自分たちの犬だけは守ろうとしました。
愛玩犬をイケニエに捧げる彼らの戦術はある意味成功したのですが、分裂した日本犬界は組織的抵抗の術を喪い、各個撃破された挙句に昭和19年のペット毛皮供出運動へ至ります。
もしも昭和16年前後に日本犬界が一致団結していたら……、戦争末期に殺されたペットの数も少しは減ったかもしれません。
戦前からドッグファイトを繰り広げていた団体(帝国軍用犬協会と日本シェパード犬協会、日本犬保存会と日本犬協会など)があったりして、どだい無理なハナシではあったんですけどね。