足立區千住橋戸町會社員間瀬六郎氏方では、セツターの牝犬をメリーと名づけて可愛がつてゐたが、一か月前相思のジヨン君と駆落ち。
心配してゐたところ四、五日前メリー嬢は帰つて來たが、ジヨン君との愛の結晶を宿してゐる上、ガラリト性質が変つて手に負へないので、間瀬さんは涙をふるつて勘當することとし、二十三日千住署へ廃犬届をした。
ところがその夜、メリー嬢、いやメリー夫人、産氣づいて警察の犬小屋で仔犬を三匹生み落し、急にもとの素直さに返つた。間瀬さん「あの凶暴もツワリのためだつたのでせうな」と勘當を許したが、この帰参遅れたらメリー夫人危ふく地獄に勘當されてしまふところだつた。
東京朝日新聞 昭和11年
一件落着めでたしめでたし。ところでジョンはどこ行ったんだ?
現在では保健所の管轄ですが、当時は最寄りの警察署がペットの飼育登録や狂犬病予防注射の窓口でした。これを元に地域の犬籍簿を管理し、畜犬税を徴収し、そこから漏れた未登録のペットは野犬扱いで駆除していたのです。
放し飼いや捨て犬といった飼主のマナー違反が横行し、狂犬病も存在した時代。平時の畜犬行政として当然の措置ではあったのですが、戦時下のペット毛皮供出ではこの登録制度がアダとなってしまいました。
飼育届を出す以上、飼育を止める時は廃犬届を警察に提出します。愛犬が死亡した、行方不明になった、飼いきれなくなったから殺処分してほしい、などという場合に作成する書類です。
内容はどんなものだったのか、大正時代の廃犬届を取り上げてみましょう。
大正2年、愛犬が死亡したので廃犬届を出したケース。記標(鑑札)を紛失したので、そちらも届出ております。
一緒に提出されたドッグタグの紛失届。
宛先は市長名で、提出窓口は警察署となっています。市側が指定する書式などは特に無かった様ですね。
戦前にもこういった飼育届が各道府県市町村別に存在した筈なのですが、公的な書類の割にナカナカ見かけません。当時の地域犬界を知る上で重要なデータなのですが、廃棄されちゃったんだろうなあ。