我が国で獨逸番羊犬の呼称が「ジャーマン・シェパード・ドッグ」に統一されたのは、日本シェパード倶楽部(NSC)が発足した昭和3年のこと。しかしシェパードを知っているのは一部の愛好家のみで、国民に認識されたのは昭和6年の満州事変以降です。
それから暫くの間はイロイロな混乱が見られました。下記は日本シェパード犬研究会(NSK)に寄せられた問い合わせです。
七月三十日午前十時
(佐)貴下は中島さんですか。私は神田の佐々木と云ふものですが、軍用犬を御販賣ださうですが、今直ぐ参りまして拝見出來ますか。
(中)ハイ私は中島ですが、私は石炭屋の番頭で、石炭なら如何程でもあります。即納もいたします。
(佐)あーそーですか。軍用犬は御販賣にならないのですか。どこか居りませんでせうか。
(中)真の軍用犬は歩校(※陸軍歩兵学校)以外には日本中には居りません。これは直ぐ買ふ事は難しいのではないかと思ひます。
(佐)實は軍用犬がどこに居るか存じませんので調べましたがわかりません。全く困りまして不止上野の動物園に尋ねたら貴下を紹介して下さいましたので、御電話したわけです。
(中)そうですか、それならシエパード犬でしよう。
(佐)狼の様なあの犬です。實は臺湾の親戚からたのまれたものです。犬も買ひたいし、又知りたいと存じます。何處か御紹介を願ひます。
(中)判りました。それなら小田急の代々幡上原で下車されて訓練所(※旧NSC狼谷訓練所。帝国軍用犬協会が発足後の昭和8年も存続していたんですね)へ御越しになれば二、三十匹居ります。幼稚園から大學までの事は教へて呉れます。而し博士に御成りになるのは少々月謝がかゝります。獨學が必要です。
(佐)イヤ博士にならなくても小學校程度で當分結構です。これから直ぐ訓練所へ参ります。電話は四谷の九四二番ですね。イヤどうもありがとう御座いました。
チリン、ガチヤン。
(中)眼をパチクリ。
概ねシエパードフアンの初歩入門は如此ものであります。どうか最初の一歩を正しく、損をさせぬ様親切にしたいものです。臺湾の某氏はバルド・フォン・コーベ(※久邇宮朝融王の愛犬。日本シェパード倶楽部登録)の遺兒三ヶ月半の健康なる仔犬を二匹、非常に感謝しつゝ携れて帰へられました。
中島黒狼荘主人『電話』より
バルドの仔は台湾にも渡ったんですか。外地シェパード界も内地犬界と歩調を合わせて発展していたんですね。