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Channel: 帝國ノ犬達
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濱島葉子

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こちらの濱島さんから

https://ameblo.jp/wa500/entry-11542664215.html

猟犬商の田中友輔および千禄(浅六)親子へのお便り。

https://ameblo.jp/wa500/entry-11978166660.html

https://ameblo.jp/wa500/entry-11971778180.html

 

千禄氏の日本畜犬協會だけではなく、田中友輔氏の大日本猟犬商會を描写した記録もあったんですねえ。大正期のペットショップの様子は興味深いなあ。

 

犬

濱島さんが訪れていた大日本猟犬商會。ある事件を契機にペット商となった友輔氏は、もともとヒゲタ醤油の御曹司です。

 

大塚の兄の家の二階で、生れて始めて耳にした苗賣の聲を興がつて居つたのは昨日のやうに思ひますのに、もう三十餘日夢のやうにたつてしまひました。待つことも待たるることもない昨日今日、わけて月日の走り去ることの懐しさを感じます。氣の向いた時には針を持つて見たり、絽刺しの眞似をして見たり、何かして退屈もしないで暮して居ります。

早苗が植えられ、さ緑、深緑、見渡す限り緑の世になりました。海を渡り山を越えてくる涼風に、八十八度の暑氣を忘れながら、私御父様に御約束申した原稿のことを心配して居ります。

御訪ね申しあげた折の感想を筆にするお約束を致しました。種々承つた興味深い犬の御話、思ひ出せば思ひ出すほどこんがらがつてあちらからもこちらからも、お父様の御話が出きます。それがおしまひにはワンワン〃吠えたてゝ、幾つもの犬の顔になつてしまひます。

泣く口には食べ物が入るのに笑ふ口には入らないと申しますが、私の此頃の心理状態は、嬉しいことが多すぎたので、書くことが出來ないと思召し下さいませ。御遠慮なく御邪魔いたしましては、長時間遊ばせて戴きますのに、いつも御叮重な御もてなし忝じけなう致しまして、御禮申しあげるのにふさはしい元氣を見出しえないのでございます。喜といふものは心をぼんやりさせてしまひます。毎日犬の聲を頭の中では聞きながら、今に纏つたものが生れません。

 

とうとう半夏生が参りました。犬の雑誌の二十九號を戴きました。ハガキ代りに一寸書かして戴かうかしらと思つて筆をとりましたので、赤毛が飛び出すか黒毛が生れるかわかりませんが、御笑覧にたまはりたう存じます。

初めて御訪ねいたしました日、私はほんとにどうしやうかしらと思つたのでございます。四ノ橋停留場で降りて御宅を探しました。何處にもそれらしいものが見當りませんので、橋の袂に立つてゐる車夫にたづねましたところ、丁寧に教へて呉れました。

古川橋の方へ後戻り致しますと、やつと犬の廣告が眼に入りました。

長い板塀のやゝ左手に偏したところに厳重に閉ぢられた大門を見つけましたが、御門が蔵つてゐるといふことは、一しほ私を卑怯者にさせてしまひました。

四谷塩町行きの電車がハチ切れさうに人を積んで通つて行きます。御門の柳が風にゆら〃と呑氣さうに靡ひて居ります。

折角來たのだからと思ひかへして、お隣の鐵工場の小僧さんに、犬の雑誌を作るところとたづねましたが、知らないと申します。

然し『此の家かも知れません』とお宅を指して教へてくれました。私もさうかも知れないと思ひましたので、『何處から入りますの』とたづねますと、『門のところが入口です』と無雑作に答へます。

『あら、でも御門はしまつてますよ』と私は思はず正直なことを申しますと、小僧さんは握つて居つた鐵片を地において『看板のあるくゞりが入口です』とまじまじ、私の顔を見ました。有難うございますと禮もそこそこに引き歸へしましたが、何といふ唖呆なたづね方をするのだらうと冷汗でビツシヨリになりました。

身を縮めなければ入れない低い潜戸の前にたつて、又躊躇致しました。一人きりで御訪ねするといふことが、大胆すぎはしないかと、どうしても氣遅れが致します。と、右手の方で犬がなきました。其聲を聞きますと、永年訪ねて居つた懐しいものの聲を耳にした時のやうに、言ひ知れぬ喜ばしさが胸に湧きました。勇氣が出て引手に手をかけますと、けたたましい鈴(ベル)の音、ハツト思ひましたが、自分の手で戸はすつかり開かれて居ります。

小さくなつて慌てて潜りますと、三尺ばかりの金網の開らき戸につきあたりさうになりました。お玄関で恐る〃御案内を乞ひました。

 

たしか御母様でいらつしやろうと存じます。五十前後の老婦人がしとやかに左手の襖をあけて御出ましになりました。小さな聲で名前を申しあげて、老婦人が御入りになりますと、重荷を下ろしたと言はふかさういふやうな感じが致しました。

右手の箱の中でチビさん達が人の姿を見て懐しがつて呼ばはります。どなたもいらつしやらないのに、犬をあやすのは失禮と、最初の中は大人しくしてお玄関にたつて居りましたが、可愛い聲をした幾種類もの仔犬達が、金網によぢて皆延びしてゐる可憐の姿にひかされて、遂に御玄関を離れて犬箱の前に立ちました。

體格のいゝのは小さい犬を押しつぶすやうな勢で、鼻をならして喜びます。指をだしますと舐めにきます。十匹近い犬が居と左を覗きますので、とうとう洋傘は立てかけて十本の指を金網に入れて、仔犬と遊んで居りました。

どんな方がいらつしやるかと、左手のお住居に氣兼ねしひしひ、お玄関の右手のガラス戸のあく音にびつくりしてふりかへりますと、お背の高いお父様がいらつしやいました。あわてて傘をころばして拾ひ損ねたり、おづおづとして、初對面の御挨拶を申しあげました。

丁度其日はお芝居へ御出で遊したとやら、あなた様方御姉妹の君には御眼にかゝりえませんでしたが、御話御上手な御父様の數つきぬ興味深いお物語を承つて、二時間余りも遊ばせて戴きましたが、私は心から又遊ばせて戴きたい、さう思つてお暇乞ひして歸へりました。

 

いろ〃な御宅へ様々の用事で、私は御邪魔して居ります。けれども私が女であるために、それに年若かであるために、私の無駄話をゆつくりと御聞き下さる方は少ないのでございます。私は自分の性質としてとつとと遠慮なく思つてゐることを申します。

ですから矢張り御返事を戴きたいのでございますが、なかなかさういふわけには参りません。出過ぎてはいけない、とは思ひます。然し其場合になりますと、平氣で自分の考へを喧つてしまひます。

御返事を戴きませんと、ハツトしてしまひますが、仕方のないもので、どなたとでも、腹蔵なく御話を致します。あなたのお父様にも其傳でお喧りを致しました。又お父様は上手に話の端緒を御ひきだしになるのでございますもの、然し千禄様、お父様は怖い小父様のやうに存知あげます(何といふ勝手な申しあげやうでございませう。お心におかけ下さいませんやうに)。お父様の御品格。どう御見受けしたところで大家の旦那様といふ御威厳をおもちでいらつしやるといふことも、草深い田舎で人となつた私を臆病にする原因の一つでございますが、私はあなたのお父様は、姪や甥に親切な、然し强意見する小父様と、御なつかしいなかにも怖い小父様と存じあげまする。

然し其怖さは暖かみのあるものと存じあげましたが、果して二度三度御眼にかゝります度に、私の其思ひは裏書きされてまゐりました。

三度目に御訪ね致しました時、お父様は私に『わが儘だろう』とおつしやいます。私其時は恐縮して『でも此頃は大人しくなりました』と申しあげましたものの、其御言葉は私に千金の價値のあるものと心から御禮を申して居ります。

 

私は私の境遇が境遇であるために、性質を矯めらるることは少しもございません。躓いてあとで悪かつた、と氣はつきますが、私に向つて意見がましいことを言ひうるものは一人もないために私の己性は矯正される好機がございません。病を持つ體、何時病のためにたほれるかも知れないから、といふ要心、定められたる運命に従順になろうことに努力してゐる今日此頃は病氣前とは生れ變つたやうに大人しくなりました。然し天邪鬼は時折頭を擡げます。皆と共力して仕事に従事した場合など、相手がなまぬるいことをいたしますと、丈夫ならなにといふ反抗心はむらむらと頭を擡げて、物を言ふこともいやになつて、止めてしまひたくなります。

それがいけない、とは思ひます。『わが儘だ』とは思ひますが、父の子であると言ふ皆の遠慮は、私を奉つてしまふので、ともすれば、自己主張が過ぎることがございます。

子供のうちは叱られることはいやなものと思ひましたけれども、今病の捕虜になつて、全癒しさうで全癒せず、死にさうで死ぬことも出來ず、持てあましものになつて見れば、しみじみと四囲を省みないでは居られません。

とりわけ病は其心をひがませます。相談相手も欲しうございます。慰め手も入用になりました。

然しめいめいの人が異つた境遇の持主であり、一つづゝの職業の持主であるために、病める者はどうでもおいてけぼりをくはされてしまひますので、一人で考へ一人で解釋をつけて數年は夢のやうに重なりました。

従兄姉達はあつても、圓満な家庭の持主であつたり算盤弾くのが専門の人であつたりいたしますので、誰も皆桁違ひなので私と云ふものは、唯私自らの小さな修養反省によつて、僅かづゝ矯められてまゐりました。

今ではそれもさほどまでに心にかけはいたしませんでしたが、かう此頃のやうにお醫者様に小首を傾けられますと、いくら私でも考へないでは居られません。我が名といふものには大きな執着をもちはじめました。

浮世に對する頼みなさと味氣なさとは、元來が女に似合はぬ放胆な心の持主である一方、鋭い神經の持主である私を憂鬱なものにしてしまひます。

皆は一體何と思つて暮してるのだらう、とたえず私の心はつぶやきます。父はよく道楽息子のお世話を依頼されましたり、職業が職業なので様々な御依頼を受けます。貴方様のお力で、大の男が涙を流しての感謝も度々ございましたが、何時の間にやら路傍の人となつておしまひなさいます。父にも幾多の缺點のあることは知つて居ります。御救ひ申した方が流を御違へなさるやうになるのは父の方が悪いのかも知れません。

 

然し千禄様、畜生の犬ですらすはと云ふ場合には、全身全心を賭して主に従ひますものを、月日と共に感謝の念が薄らいで、自己主張に究ゝとする人間は、何といふ浅ましいものでございませう。節義を捨てゝまでも、我々は現在の我に執着しなければなりませんでせうか。

現在の成佛は即ち來世の成佛であることは、何時の間にやら通用しなくなりました。

私の小さな經験、若かい二つの瞳に寫つた世は呪はしいほど複雑な、偽の多い世の中でした。

然しそれも皆自分の事に急しいからだと僅かに諦めて面白く暮らすことのみ勉めて居りましたが、月日は徒らに重なつて私の病は癒ゆることを知りません。父の鬚髭は純白になりました。母の鬢髪にも五本六本白いものが加はつて、小町と呼ばれた昔の姿は何處にも見出すことができないほど田舎婆になつてしまひました。恐ろしい成育力旺盛な弟達は五尺三寸、四寸と月毎に背延び致します。

難しい継祖母も死んでしまつたので何退屈のない此頃なのに、病人と言ふものは飽くところなく考へます。継々しい祖母が隔(ひがみ)ばかり作る人でございましたから、人一倍私が隔といふものを嫌ふのかも知れません。

人間つて何故も少し簡単になれないだらうと私の始終つぶやく言葉でございます。私は女だてらに江戸子氣質が好きなのでございます。それは病のあるために明日の幸を期待し得ない心細さが今日一日の完結に努力さすといふ原因もございませうが、ザツクバランの好きな私、わが儘だろうと指摘して戴ければ心から嬉しいのでございます。

こんなことを申しあげましたらば、さぞお父様はお笑らひ遊ばしますでございませう。怖いと申しあげたり、お懐しい小父様と申しあげたり。わが儘勝手の申しあげやうも、どうぞ、お遠慮なしのわが儘者奴と御叱り戴きたう存じまする。

私は斯界の爲、御父様の御健康を祈つて止みませぬ。御上手をおつしやらない御父様こそ斯界のための明星と存じあげて居りまする。あなたの御父様の御持ち遊ばす御威厳が、御心情が、職業によつて其の人達の品性をまで左右する盲目の多い世の中に、北斗星と末永く御輝き遊ばすのを私は心から御祈り申して居りまする。合せて皆々様の幾久しき御榮を。

(大九、七、十三)

濱島葉子『犬屋の怖い小父さん』より


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