生年月日 不明
犬種 不明
性別 不明
地域 宮崎縣
飼主 猟道五年生氏
猟慾満々たる、初猟の氣分も稍々失せた十一月の上旬、私達のグループに於ては、當年度の第一回の競猟會を開催することになつた。生憎と獵友M君が、家事の都合で同伴することが出來ない爲め、彼と二人して狩る相談したコースへ、一人淋しく愛犬一頭を連れて出獵しました。
コースは刈田の跡の鴫と、附近の桑畑に來てゐる鶉、そして歸りに途中の雑木林に入つて、運よく行けば、雉の一羽でも提げて、その日の首位を占めんものと思ひました。午前中の獵は平凡ながら、鶉六、鴫四を得まして、愈々最後に殘された雉子の攻撃を始めました。
頃は十一月の上旬とは言へ、南國の暖さは人も犬も全身汗一杯です。要所々々に犬を入れて見たが、小鳥の香さへないらしいので、少し疲れもしたし、涼味たつぷりの池のほとりに來たので、それ幸ひに其處で一ぷくして後、更に残された部分を捜すべく、こんもりつた椎の根下に腰おろし、上衣を脱いで、あたりの静寂さに心も落つき、ゆつくりとバツトをくゆらしてゐると、なにやら下の池の藻のある所で、ピシヨ〃と音をたてるものがある。
それをじつと見れば、鯉が餌をあさつてゐるらしい。
しかし木蔭と藻の爲めに、その大きさはハツキリしない。けれどもそれは可なり大きいらしく思はれた。距離は四五間足らずである。鯉は頻りに餌をあさり續けてゐる。朝出る時弾は充分用意して來たので、此處で一發消費しても、何等不自由を感ずる事はない。
そう思ふと同時に、自分の好奇心も頭をもたげて來て、銃に三號弾を装填し、既に照準した。そして頃合を見て引金を引けば、「ドグワーン」轟然一發!!
その音は山林の静寂を破り、しぶきは空を切つてあたりに飛び散つた。
結果如何に、と其のあと方を見れば、波紋は静つたが何等變つたことはない。打つた其のものが鳥でない限り、失中の淋しさは何一つ感ずることなく、ケースを抜きつゝ再び水面を見れば、水面に長さ二尺もあらんかと思はれる眞鯉が、淡黒い鱗を見せて水上に横たはつてゐる。
愛犬は池の中に入つて水中を游ぎ廻り獲物らしい浮草などを咥へてゐるが、獵物が異なる爲め、眞鯉の方には一向見向きもしない。終に主従共に水に入つて漸くにして鯉を拾つた。
取り上げて見れば、五百匁もあらんかと思はれる様な眞鯉である。そして「ヤツタ、ヤツタ」と一人で快を叫んだのである。犬には済ぬが、こうなれば殘りの場所とか、雉子の方はどうでもよい。早速歸り支度して、どん〃道を急いで、會場へと急いだ。
會場に着くと、皆はこの變つた獲物を見て暫くは色々騒いだが、其の中俄かにどつと笑ふ者あり、そうかと思ふと「君、漁業鑑札はあるか」なんてひやかす者あり、正直な人は不思議そうに、鯉をひねくり〃見る者あり、そうかと思ふと、更に其の場面を詳しく尋ねる者あり、同伴者がなかつた爲め、一時は疑惑の空氣が漂ふたけれども、結局諒解されて其の後の獵談は、海山雑炊の獵談になつてしまつた。
かくして其の日は、豫期に反せず首位を占めて了つたが、鯉を取つた一件は、狭い私の村では直に大評判となり、其の後出獵する度に、一、二回はきつと「今日も鯉捕りなんですか」と、だしぬけにひやかされる様になつた。
其の祟りは何日迄たつても止まず、或日のこと、以前鯉を撃つた池の傍りの雑木林に雉子の居ることを知つたので、今日こそあいつをやつゝけようと思ひ、先づ、山の裾の畠を狩つてゐると、犬の様子がたゞ事ならず、甘藷畠の畦のほとりを小きざみに、何物かをジリ〃追ひつめてゐる。
犬の尾は硬直してかすかに尖端を振り、中腰になつて眞剣其のものゝ態度である。其の姿勢を採つて二分とたゝぬ間に、前方約一間餘りの、荒れた桑畑の中にある枯れた雑草の中をぐつつとにらんでゐる。まがふことなく確かに突止めポイントである。
これを見て、場所柄鶉とのみ思つた自分は簡単に「行け」と命ずれば、それと殆んど同時に「ガタ〃〃」と雄雉子の飛立ち「アレツ」、ターン、カチツ。雄雉子は悠々と長い尾を引き、赤と黒味の綺麗な色して、ケンケンと二聲ばかり高らかに、恰も未熟な自分を嘲る様に、山の彼方へ飛び去つた。思ひ掛けない獲物、不發、色々な興奮で、自分の脚はふるへて居る。
そして殘念の餘り「クソーツ」と一言、やるせない感情を言葉に發して雉子の飛び去つあt方向をしばし見守つてゐたが、やがて自分は銃を提げて、雉子の姿が消へた、池の上にある笹薮目がけて夢中になつて走る。
然し急ぐ時には、たゞ氣のみあせつて思ふ様に進めるものではない。藷の蔓に足が引つかゝつて轉げた。犬はクンクン言つて自分の脚もとをかけ廻るので、又々それに脚がからんで倒れる。
かくすること二、三回、息絶へ〃と言つた有様で例の池のほとり迄で來て見れば、人のよい近所の爺さんが薪を伐つてゐるので、「爺さん、今このあたりに雄雉子が飛んで來たのだが見なかつたかつたかなあー」と尋ねて見れば、爺さんいたづらか本氣か「Sさん今朝からこの池では鯉は見ない。然し昨日夕方新池の東の方で二匹ばかり游いでゐた。あすこに行つて見ると夕方はきつと出るだらう」なんて、今の自分の氣持も知らずに、尋ねもしないことをさも親切そうに教えへてくれる。
全く此の時ばかりは常にいゝ爺さんだけれど、「よー言はんわ」と、言ひ返してやりたい位であつた。偶然ではあれ、僅か一匹の鯉が、何日迄でも自分の獵の對照になるかと思へば、今更らながら、いたづら獵の祟りを後悔せずにはゐられなかつた。
結局その雉子は、後日自分が獲つたが、其の日は後で漸く探し出したけれど、ターンターンで最後迄で見事失敗し、益々落胆した。それい以來出獵の場合は、無益の殺生を慎むことにしてゐる。
『印象深い私の出獵日記』より 昭和11年