夜來の豪雨まだ降りやまぬ七月十三日、全國的に何年ぶりかの降雨量の記録を出したと云ふ此の日、私共の裏を流れる川はば二間程の川も物凄い勢の濁流渦を巻いてさながら瀧の様な水勢で氾濫してゐました。
丁度お盆ではあるし日曜の潮位と油断して寝坊をしてゐますと、御近所の方がけたゝましく呼び起して下さいますので何事かしらとはねおきて見ますと「お宅の仔犬が流されました!」とのことなので、取るもの取りあへずハウスを見ますと親犬もろとも影もかたちもありませんのでサア大變とばかり家内中總出で走り出しましたが、川の両側は住宅がぎつしり建つてゐますので歩くことが出來ません。
親犬は狂へるものゝやうに吠え立てますし、流れが早いので大勢の人々はたゞアレヨアレヨとさわぐばかりです。そのうちに仔犬の姿は見えなくなつて了ひました。もう私達はあきらめねばならないと思ひましたが、せめてなきがらだけでも拾ひ上げてやり度いと思ひ、自轉車を走らせて川下へ川下へと下つて参りました。
路すがら、「あゝいやなお盆よ」と悔みつゝ、ともすれば目頭の熱くなるのを覚えながらもあきらめかねる心を仔犬の姿に求めてまゐりました。と、流れた現場より四丁程の川下の陸稲畑の中に眞つ黒なものが動いてゐますので、急いで走り寄つて見ますと、見る影もない姿になつた仔犬がうづくまつてゐました。
先程の悲しみはいつしか喜びに變つて、こんな急な水の流れにわづか生後四ヶ月位の仔犬がよくも打ち勝つことが出來たものよ、と只々感心するばかりでした。
「流石はシエパード犬の仔よ」と、その濡れそびれた仔犬にほゝづりしてほめてやりました。これ程の急流と戰ひ抜いたので、精神的にも肉体的にもよほど弱つてゐるであらうと、湯たんぽなども入れて愛しんでやりましたが、仔犬は案外平氣なもので、ものゝ三十分とは経ちませんのにもうすつかりもとの健康そのものゝ姿に戻りました。
獅子は生れて三日たてばその仔獅子を谷底へケオトシてその性能を試めすと云ふ話も伺つてゐますけれど、宅の仔犬は濁流の洗禮を受けて元氣に生き抜きました。
今後成長の暁にはこの生命力を助長して必ずや何等かのお役に立てゝやりたいと念じてゐます。そして私達も一そう意を強ふして、私等の愛するシエパード犬の訓練に、蕃殖に、力を入れ度いと思ひます。(1941.7.14記)
大場きみゑ『濁流と戰つた仔犬』より