防犯課所属ゆえに「宣伝用だった」と伝えられる戦時中の警視廳警察犬。しかし実際の彼らは犯罪捜査に投入されており、昭和12年の復活劇以降は警視庁も本気で訓練に取り組んでいました。
今回はその記録を。
帝国軍用犬協会第一軍用犬養成所にて訓練中の(鮫洲警察犬訓練所が完成するまで間借りしていました)、警視庁警察犬係の朝倉主任と警察犬ヒロー。ちなみに帝国軍用犬協会や日本シェパード犬協会は警察犬や牧羊犬や盲導犬の分野へ進出を図っており、警視庁への協力も惜しみませんでした。
内閣情報局 昭和13年
一月十六日、霜柱のたつた寒い日だつた。こんもり茂つた森は點々と續き、青空の彼方には富士の姿がくつきりと浮んでゐる。此處は高田馬場より西武電車で四十分のくめ川である。
今日の警察犬實演の行はれるのは、その一劃、森の中に巾一間の川がチヨロ〃と貫流し、枯草は荒れるに任せ、區劃された道路は縦横に走つてゐると言つた絶好の訓練地だ。然し今日の天候は絶好のコンデイシヨンと言へない。朝寒の霜柱は陽ののぼると共にとけ、加ふるに風は愈々強くなり、砂塵の爲め視野も狭められると言つた惡條件なのだつた。
午前十時、集つたのは帝犬坂本副會長以下幹部數氏、警視廳側からは吉岡防犯課長、警察犬係り朝倉主任と養成所の訓練手四名。
犬は帝犬養成所のエルフェ、プリスカ(シエパード種)、警視廳のヒロ(シエパード種)、暮雲(エアデール種)の四頭だつた。
上野動物園クロヒョウ脱走事件で、クロヒョウを捜索する帝國軍用犬協會のプリスカとエルフェ。昭和11年
ハンドラーと戯れる暮雲(通称ボン公)。ボン公を含め、エアデールは二頭配備されていました。昭和12年
警察犬が誕生して、かれこれ一年にならうとしてゐる。その間の、朝倉氏等の労苦は如何に酬ひられるか、これが今日のテストの眼目なのだつた。筆者は終日テストを見學して、その苦心の跡を如實に見せられる氣がした。
そも〃警察犬にとつての嗅覚の鋭敏と言ふ事は不可缺であるが、その足跡追及の如何に困難であることよ。一例をあげれば、犯行後一時間半の犯人逃走経路の追及に於て(コースは二回屈折の三〇〇米、終點は雑草地域内)、先づヒロが追及の任に當つたのであるが、一回目の屈折點にもかゝらぬ二〇米の地點で断念してしまひ、代つて暮雲の追及は、一回目の屈折點を越した一二〇米の地點までしか追及し得なかつたと言ふ有様だつた。
上記した如き惡コンデイシヨンであつたとは言へ、實際に於ける犯人追及では、雨の日も雪の降る日もある筈だ。コンデイシヨンのよしあしを云つてゐられるものでない。
それは兎も角、朝倉氏の眞摯な態度こそは未來に大きな期待をかけられるものだつた。足跡追及ではこの様な有様だつたが、犯人追跡とか一定地域内の捜索に於ては、筆者達を満足させるだけの充分な技倆を示した。犯人追跡では前記した小川に架けられた丸木橋を渡つて犯人は逃走したのであつたが、一間許りの流れをものともせず飛び越えて追ふのだつた。此の時架けられた丸木は直径十五糎位のものだつたが、暮雲は此の上をヨチヨチと歩いて渡ると言つた滑稽も演ぜられた。
一定地域内の捜索は、一〇〇米四方の密林、雑草の中の或る地點に埋めた兎を捜索する作業だつたが、これには暮雲とエルフエが當つた。十四分で遂行された。
廣い地域内に彼方此方を探し廻つて、偶然性があるとは言へ、僅か十四分で探し出す事の出來たのは、犬ならではと言ふ感を深くさせた。
此の作業は繰り返し二度三度と行はれたのであつたが、凡て良成績をあげ得たのだつた。
最後に犯人護送が行はれて、此の日のテストは終つたが、もう午後の三時になつてゐた。
これで見る如く、既に警察犬としての任務を完全に成し遂げる課目もあるのだ。一日も早く、街頭に吾等の警察犬が活躍する日の訪れるのを筆者は待つ次第だ。
B記者『くめ川に警察犬テストの一日』より