鈴木仙之助氏
三月十五日カナダからグレートデンの高さ二尺九寸と云ふ素晴しいものと、チヤンピオン直系のシエパード幼犬(六ケ月)牡牝を輸入しましたが、引續き今月はセツタージンゴー系の優良種牡を英國から輸入します。
『人の噂』より 昭和9年
三月十五日
あの時フランカに仔犬が出来てゐたら、死んだヘロルドも片見が残つたらうにと、そのことだけでも惜しい。さう考へると、何だか、とてもすばらしいのが生れるのではなかつたらうかと、そんな欲目も手傳つて來る。
學齢に達した子供のために、あわててこちらに引つ越さねばならなくなつた去年の四月、まだ普請中の工事場の近くの小さな家に假ずまひして間もなく、フランカにシーズンが來た。だが、仔犬を育てる条件が適當でないので、やめた。
私は少し臆病すぎるかも知れない。
それから間もなく、一昨年の春生れのアリソが死んだ。それも私の手もとでではなく田舎に預けておいてである。假ずまひは狭すぎるから、新しい家が建つて、ちやんとした犬舎が出来るまでの暫らくを、丈夫なアリソだけ犬好きな家に預つて貰つてゐたのだが、運悪くテンパーの豫後の不注意から、とうとう死なせてしまつた。あの犬ならと、武信さんも折り紙をつけて下すつたほど、健康な、かわいい犬だつたが。
家が建つのと一緒ぐらゐに、フランカに待望のシーズンが來た。
手ぐすね引いて、心もそらに、といふわけで、早速ヘロルドをお願ひしたところが、前述の不妊。―残念の何のと、言ふもおろかなことであつた。
歳が暮れ、歳が明けて、春意やうやく動く頃、フランカに順調なシーズンがやつて來た。今はヘロルド亡く、彼の親愛な兄弟、足立さんの御愛犬をお願ひすることにした。ところが、またまた好事魔多く、足立さんとのお約束の日を前に、彼女の好期はすでに過ぎ去つてしまつた。
あるひは、まだ、とも思はれたのであるが、もう一つの心配―仔犬の時期が梅雨にかかるといふことであつた。思ひ切り悪い心を、相馬さんにきめていただいたものの、いまだにうしろ髪を引かれる思ひである。
犬すら多く殖えるどころか―武蔵野の松の疎林の下草を、私は今日も一人ぼつちのフランカを連れて、物思ひつつ歩き疲れるのであつた。
三月十五日
たまのや『犬すら多く』より 昭和13年