生年月日 大正12年5月16日生れ
犬種 イングリッシュセッター
性別 牡
地域 東京市
飼主 守安清氏
生年月日 昭和7年5月16日生れ
犬種 シェパード
性別 牝
地域 宮城県仙台市
飼主 菊池精次氏
今春のコリー犬協會の展覧會は五月十六日に報知新聞社主催の日本畜犬綜合共進會を後援して同會の會場で行なわれました。同共進會は靖國神社の境内で挙行された爲、會場は参道を中心に左右に二つに分たれ纏りが無く、余り感じの良い物ではありませんでした。
吾等のコリー部は會員諸氏の努力により十余頭の出陳あり、相當見耐へのするものでした。現在の様にコリーその物も會員も少く、而も今回の様な展覧會に十余頭も出陳された事は先づ成功であつたと思ひます。各出陳犬に付ての批評や成績は、審査された方々より御發表があると思ひますので此處には控へます。
私が何時も犬の展覧會を見ては熟々考へる事は、コリーは何故もつと普及しないのだらうかと云ふ事であります。コリーが如何にリフアインされた犬であり、外観は美しく貴族的で、加へるに訓練して其効率の良い事等は私が今更此處に事新しく書立てる迄もなく此の「コリー犬」を御讀になる程の人は先刻御承知の事でありませう。又シエパードやエアデールテリヤやドウベルマンピンシエル等所謂軍用犬と比較しても優るとも劣らざるものである事も御存じでせう。
それなのに、あゝそれなのに。前記軍用犬の飼育者の無數にあるのに引換へ、コリーの愛育者の少い事全く不思議な位です。勿論此には許多の理由もある事でせうが、其の中でも最大の理由は宣傳の有無でせう。而も内地産犬が親より仔、仔より孫と次第に劣悪に成て行く今日に於て一層考へずには居られません。
最近或コリーの牝にシーズンが來たので婿殿候補者を二頭挙げました。一方で失敗しても他の方と背水の陣を引いた積りでした。然るに運の悪い時は仕方の無い物で、一方はコンデイシヨンが悪く、他の方は不注意の爲に遂に二頭共に失敗して終ひました。サア斯う成とコリーの少い現在ではもう次に頼むに足る様な優秀犬の心當りもなく、止む無く半年を無駄に過すか、みす〃悪いと知りつゝも親と仔とか兄弟犬とでも交配させるより外に方法がつかず、全く困り果てた次第でした。
此様な不運はそう度々ある事とも思はれませんが、今日の様にコリー犬も愛育者も少い状態では良犬を生産する事は兎に角困難な仕事であります。又次第に犬が劣悪に成るのも無理からぬ事に思われます。斯くては吾等のコリー犬協會の目的にそはぬ事になります。我々コリーを愛する者に取ては此以上の悲みは無い事と思ひます。
我々會員はコリーの優秀性には充分の自信を持つて居る者でありますので、必要以上の空宣傳は望みませんが、何とかもつとコリーの普及を企て、一層改良して良犬の増加を計りたいものです。幸ひコリー犬協會の基礎も確立された今日ですから、協會を中心に各會員が細胞となつて一段の努力をしたならば、コリーの改良も、愛好者の増加も其結果は期して待べきものがありませう。
又春秋の展覧會は一般大衆に内客外観共に勝れてゐるコリーを認識してもらう絶好の機會でありますから、出來る丈の力を盡して頂きたいと思ひます。
コリーの犬籍登録制度も三上先生(※洋画家の三上知治)や金子氏等の御盡力で出來上りました。現在のコリーは日本コリー史の第一頁を飾る犬達であります。血統の鮮明は今後の改良蕃殖上唯一の指針でもあります。會員諸氏は愛犬の爲コリーの爲、奮て登録される事を願ひます。展覧會の感想を書く積りが大脱線致しましたが、與へられた紙數も既に超過しましたので擱筆致します」
服部宣和『展覧會を観て』より 昭和12年
東京支部、小林嘉蔵氏愛犬ハラス號は軍犬購買合格、五月十六日○○驛より壮途に上つた。
昭和13年
只今左記之通り悲報に接しました。御報告致します。
拝啓
向暑の砌益々の御清栄之段奉賀候。陳者貴殿御献納の軍犬「福」號去る五月十六日名誉の戰死を遂げられ候。
去る十四日払暁以降、約五ヶ師(団)の敵我が飯田部隊に對し四周より攻撃し來り候。敵は屍體一二○○兵器弾薬その他多數遺棄して十九日全く潰乱致し候。
福號も五月十五日○○西北地邊に出勤急峻なる山地に於て傳令勤務に服し、敵弾雨飛の間常に任務を完遂し、部隊間の連絡を確保致し居り候。無念にも紅に染まり倒れ候。
之を目撃せる軍犬兵は直ちに駈寄り應急手當を致し候も、腹部盲管(銃創)にて出血甚しく遂に六時十分、戰死致し候。
顧るに、福號は當隊配属以先、或ひは○○警備に、或ひは○○會戦に、或ひは又敵冬季攻勢反撃に常に第一線に出勤、模範犬として傳令勤務に服し居り候ひしが、今後益々福號に期待するところ大なるものある時、圖らずも名誉の戰死を遂げられ、茲に亡き福號の遺毛を送ると共に、その武勲を御傳へ献納せられる貴殿の誠に對し感謝の意を表し度如斯に御座候。
敬具
六月十一日
中支派遣軍甘粕部隊 赤廉東彦
池田三郎殿
右御報告申上候
六月十九日
池田三郎
五月十六日
早朝金子氏より電話、昨日は金子さんも行かなかつたとの事。一寸安心する。今日は九時頃に九段に行くからとの事に自分も大急ぎで朝食を喫し、正九時には九段へ行く。犬は數頭來て居るだけで、殆ど犬界人らしいものは來て居ない。シエパードなども出陳が寡いらしく、KVの大橋氏など駆出されて來たといつて犬を連れてやつて來た。十時頃になつてだん〃犬も人も集つて來た。午後になつて天候が険悪の相を見はして來たので急いで審査を始める。訓練公開はKVのシエパード、東京犬の學校のシエパード、及び我が海老名氏のコリー、ポン號であつた。審査は慎重考査の結果、金子池田三上の三名に依つて決定され、事務所に申出て發表授賞を待つばかりとなつたが、他犬種の審査は却々長引いて済まない。その内天候は墨雲垂れ下つて來て今にもザーと遣つて來そうなので、賞品は後から届ける事にして別記の通り賞級を發表して各自思ひ〃に散會する事となつた。
日本コリー協會事務所 枝庵(三上知活)「事務所の日記」より 昭和12年
警視廳自慢の警察犬五頭のうちナンバー・ワンとして嘱望されてゐた「オーデン」クンが五月十六日夕方、テンパーにかかつてポツクリ死にました。
警視廳でもその死を憐れんで廿一日朝、犬猫墓地板橋の大泉霊園で吉岡防犯係長、荒木技師、阿部訓練所主任ら廿餘名参列して盛大な告別式を行ひ、同園内にねんごろに埋葬しました。そして同園内に警察犬墓地が出來ました。
『警察犬悲喜二題』より 昭和12年
平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より
昭和17年5月16日診察
平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より
昭和19年5月16日診察(これが平林病院戦時最後の診療記録です)