
七月三日曇天、今にも降りさうな様子の日、午後三時五十分頃網走刑務所の外役作業の一隊は本所を離れ千米の放牧場にて畑耕転中、數十名の内一人が看守の隙をねらつて聯鎖を脱して原始林同様なる古木鬱蒼たる山中に飛鳥の如く走り去つたのでした。
直に戒護中の三名の看守は追跡し、本所にては全工場及外役作業を中止、全職員を以て非常配置に就いた時は夕ぐれ頃でありました。折も折、當日は札幌控訴院管内司法保護研究會にて控訴院長以下司法関係の各長及司法省より交換も來網中の事とて、担當職員の狼狽は氣の毒な程でありました。
其の日私は営繕擔當として役所近くの小學校へ運動會準備の作業に従事して居つたゝめ、皆の職員より數時間遅れて課長室に出頭した所、直に犬をつれて追跡してくれとの事であつたが、嗅覚作業なんぞとはてんで自信がなかつたから、脳裡にも浮ばなかつたのが事實です。
で、現場に駆けつけたが現場には最早たれもゐない。何處が現場やら私にはてんでわからない。
日は暮れて早や薄暗くなり、雨はポツリ〃と降つて来た。
私は犬を先頭に只ガサガサと背より深い草原をあてどなく夜の九時頃迄歩き續けて人犬ともにグツタリとつかれた體を役所に歸つて來ました。最初より軍犬、シエパードの認識なんか全職員誰もしてゐないから、只ブラリ帰つた私と犬も當り前の様になんとも云はない。
私ははかない自分と犬をそゞろに思ひ浮かべて一種異様の感がしました。
若し之が愛犬とゝもに發見したなら……。どんなにカール(呼名)が人々に可愛いがられるだらうと、私はそればかり夢を一人描いてゐたのですから。苦しい一夜、悩ましい一夜も明くれば晴朗な天候でした。
どうしても現場に行つてみなければ氣が済まない私は、夜明け早く四時に現場に行き捜索に従事致しました。そして昨日とは大した差のあつたことに氣が付きました。
其處には軍用犬よ、嗅ぐなら嗅いで發見してみよと言はんばかりに逃走囚人の編笠があつたのです。けれども私は手にして氣まぐれに捜せ!捜せ!!と號令を與へて持つて來いとやつた愛犬は知つたか否か、放された鎖の自由に喜んでか、彼方此方と歩き廻つて、深い谷間に入つて行つた。
私はバツト一本を吸ひ終り、愛犬の後を追つた。カール〃と。
突然谷底で異様の咆哮がした。サテハと谷間を夢中で駆け下りた。私はハツト息止る興奮の喜びがみなぎつた。愛犬が赤衣の囚人とさかんに闘つてゐるではないか。夢ではないか……と思つた。私は興奮の中に夢中で捕縄をかけた。
氣の毒な事には、囚人は處々に愛犬にやられた生々しい襲撃の傷だらけだ!
萬歳!萬歳!
初めて知つた軍用犬の價値に所長以下各位の讃辞を戴いて、第一回の殊勲をたてたのでした。
そして網走各新聞社、北海タイムス、小樽新聞等は堂々と其の功績を讃へました。併し我が愛犬のこの名誉もみな旭川の松崎考護氏の御厚情に依るものです。
私もKVに正式入會致し犬舎號も北海朗狼荘と定め、益々北見軍用犬界に活躍する考へで目下同好の士に説いてゐます。
一九三六、九、二三
網走刑務所 石川敏雄「脱走囚を捕へて」より 昭和11年
鶴ヶ岡を中心とする軍用犬飼育者の集りである鶴ヶ岡シエパード倶楽部主催で、七月三日鶴ヶ岡高等小学校體操場に於て映畫會を催し、青年訓練所生徒並に青年團員等四百名が参加した。
「鶴ヶ岡で映畫の夕開催」より 昭和11年
安東支部大野幸作殿
七月一日附滿犬協安支發第三九號に拝誦仕り候。就て左の如く實施相成度及回答候
一、大體貴意も明瞭致し候に就き、御申出の通りにて差支え無候へ共、之れが實行に當りては申すまでも無く充分の研究と彼我の完全なる了解の許に詳細なる契約書を作製し後日に至り問題を惹起する如き事無き様希望仕候。
二、支部種犬訓練所を全然空となし全部森内學校に入り込む事は、前回も申上げ置き候通り協會の體面上絶對に賛成し得ざる處に有之唯相互の便宜及利益上内面的に協同する事は差支へなきものと存申候。
三、貴支部係留協會種犬よりも森内學校種犬評判宜敷爲めに協會種犬に種付申込なきに於ては、徒らに貴地に繋留する事は無意味且不経済と思はれ候。條其場合は種犬を本部に引挙げ可申従つて伊藤訓練士も同時引挙ぐる形と相成可申候條此點豫め御了承願上申候之れを要するに協會竝に貴支部の體面は飽迄重視し之れを汚損せざる範囲内に於て、支部の利益となる方法を以て本問題を解決する如く御配慮御實施相成度く重ねて申込置申候。
滿洲軍用犬協會本部 昭和12年7月3日
北秋田郡扇田町會議員殿村松治氏で飼つてゐる秋田犬の雑種玉君が七月三日午後五時頃、西舘村街道から現金四圓在中の重い財布を拾つてくわへて來た。
家人が付近を調べたが落とし主がなく、警察へ届けたところ、四日になつて落とし主が同町大町菓子舗開扇堂店員清水保君と判明。西舘村信用組合から集金して歸りがけにおとしたもの。
佐藤部長は殿村町議の令息與四郎君を玉君の代理として呼んで報労金八十銭を与へ、玉君によろしくと頭を撫ぜて歸した。
玉君はこれまでも、しばしば主人の忘れ物を拾つて届けてゐる利巧ものだ。
秋田魁 昭和12年