今夕(九月三十日)、ロスキー(元ロシア軍用犬のエアデールテリア、ハミルトンの愛犬)を連れて散歩を試む歸路、近衛の楽を聞く。楽隊は戰闘中後へ残されてあり、今漸くその所属師團と一緒になりたるなり。
ロスキーも楽の音に耳を欹てゝその方向へと踊り出でたり。
彼はその昔露軍の楽隊を聞きに行きて可愛がられしに馴れて、今宵も同じ待遇に有付かんと思ひしならんと思へば、畜生ながら憐愛らしく、彼もまたその主人たる余も、司令部に行く曲り角を曲つて見れば、極めて寂しき楽隊の光景に接したり。
司令部に達する道の角を曲りて行けば支那人の墳墓あり。その周りに松の樹の茂れる所ありて、その風下に近衛の軍楽隊楽を奏しつゝあり。
今しも太陽は地平線下に没したる所にて、青き西の天にボンヤリと赤くその影を示せり。
楽の臺には蝋燭點され、蘇格蘭(スコットランド)の俗歌調奏されつゝありしが、蘇格蘭の歌も憫れ調節ともに滿洲的變化を受けて、寂しき街に空しく鳴り續けり。
余とロスキーは、露軍置き去りの陣営椅子に席を占め、襤褸を纏へる支那人の童二人側にありて聴聞するのみ。百碼と隔てぬ處には、日軍の將校兵士幾らも居たれど、來りて聴くものはなし。
併し楽を奏するその楽人すら、自家の奏する楽の何たるかを知らずして奏する位なれば、門外漢に期するに趣味を以て聴かんことを以てするは無理といふべし。
日露戦争観戦武官 イギリス陸軍中将イアン・ハミルトン 明治37年
去る九月三十日、倫敦發のロイアル電報は名声宇内に赫々たる佛國の碩學ルイ、パストール Louis Pasteur氏の訃を報せり。
吾人斯學に従事するもの誰か痛惜せざるものあらんや。
殊に理學を美術と共に文明の精華として夫の欧州全土を席巻したる有名なる武将ナポレヲンよりも此ルイ、パストール氏を國の賓として尊敬せるとか云へる佛蘭西人の哀悼、察すべきものあり。
宜なり其送葬の盛大なりしこと、大統領フェリース、フォール氏を始めとし内外貴顕紳士の會葬頗る多く、花環の贈物夥しくして葡萄牙國王よりも之を贈られたりといふ。以て其式の盛大なりしを知るに足るべし。
氏は一千八百二十二年十二月二十七日佛國ジュラー州ドールに生れ、同四十年巴里大學校に入り卒業の後ペサンソン學校の特別學士となり、同四十三年エ、コール、ノルマールの生徒に挙げられて、同四十七年ドクトルの學位を受け、同五十四年にはリーユ理學研究所の監督となり同五十七年高等中學の長となり、同六十三年美術學の理化學、地質學の教授に任ぜられ巴里學舎の會員に當撰したり。
同五十六年倫敦の學士會員はランフォードの賞牌を贈り、同五十三年ナポレオンの創設せし名誉隊の勲章を授かり、同六十三年同隊の士官となり、同六十八年其長官となり、同六十年倫敦學士會院の外國會員となり、同六十一年化學に関する著書數巻の功労に由りてジエツカー賞牌を得、同六十三年醗酵黴菌論の大著述をなし、同七十四年國立學會は氏の醗酵其他の業績に對し終身年金一萬二千法を給したり。
同七十八年前上名誉隊の大士官に擧げられ、同八十二年有名なる佛國學林(フレンチアカデミー)の會員となり、同年技術協會は醗酵と酒の保存と蚕及家畜に醗酵病毒を蔓延せしむることゝに関せし氏の研究に酬ゐんためアルベルト勲章を贈りたり。
氏の獣醫界に致せし大功を約言すれば
第一 世界に滅菌の法を教へし事
第二 リスター氏をして消毒的手術を發明せしめ、外科學をして今日の盛を致さしめたる事
第三 黴菌学の起點を置きたる事
第四 傳染病は種痘の法を應用して豫防し治療し得らるべしとの事實(狂犬病は其重なるものなり)を確定せし事
第五 右に関して黴菌学者に傳染病の病毒を強め又弱め得べき次第を示せし事
第六 或る種類の傳染病に罹りたるものは或る他の傳染病より免疫すと云へる事實を確めし事(此はエンメリツヒ氏及び坪井学士も今尚其後の研究を継続中なり)
目下盛に行はれつゝある夫の血清療法なるものは全く氏の發明より漸次進化したるものと云はざるべからず。
(編者曰く、パストール氏の業績に関しては追て尚詳細の報道をなすことあるべし)
「黴菌学の開祖ルイ、パストール氏逝けり矣」より 明治28年
近時畜犬は他の家畜と等しく實用的経済動物となり、番犬として人名財産の保護、警察犬として犯罪の豫防及び捜索に使用し、一朝有事に際しては軍用犬として其の獨特の技能を利用され、或は猟犬として又は力役犬として其の用途枚挙に遑あらざるに至れり。
斯く用途の激増に伴ひ各種畜犬の輸入著しく増加し、之が為め國幣の海外流出巨額に達す。一方吾が國特産の狆は近時欧米各地に愛玩用として賞揚せられ、海外よりの注文多數ありと雖も、生産數少き為め、全部の需要に應ずる能はざる状態にあり。
故に吾人及び國家に利益を與ふる有用なる畜犬は、之が改良蕃殖を指導奨励し以て輸入防過を講じ、併而輸出増加を計らざるべからずと同時に、吾人の生存上不必要なる不良犬は現時世に喧しき食糧問題よりするも之等を整理撲滅する等々、畜犬行政の確立を必要とすること決して他の家畜に對する夫れに劣らざるものと信ず。
否、寧ろ羊豚、家兎等の小動物に比すれば吾人の生存上に関係する處大なりと云はざるべからず。
然るに畜犬は従來有用動物として取扱はれざる為め、狂犬病豫防上消極的施設を以て迎へられ、至極やつかい視される事が多く、改良、蕃殖上何等積極的施設等なく、従つて犬の現在頭數並に生産頭數或は輸移出入の関係に於ても何等統計の示すべきものなく、吾國に於ける現在の畜犬は、其の種類頭數不明なること多く、畜犬行政確立の上にも不便尠なからざるものと思はるゝは甚だ遺憾とする處なり。
故に畜犬に関しては僅かに民間の少數篤志家に於て研究せられつゝあるに過ぎず、従來全國主要各地に於て開催せらるゝ畜犬共進會、品評會等の審査委員は全く民間篤志家のみなり。
然るに昨秋満洲事変に際し、満洲獨立守備隊が極めて少數な犬であつたが實戦に使役して相當以上に効果を挙げた實例から各方面の注意を喚起する所となり、民間飼養の軍用種犬を保護奨励し、利用増進を圖り、改良普及せしむることは轍鮒の急であるとの陸軍側の意圖より客年九月三十日付を以て社團法人組織の帝國軍用犬協會なるものが陸軍大臣より認可を賜り、舊臘十七日の佳辰を卜し、首都丸の内東京會館内に於て發會式が挙行されたるは全國愛犬家と共に誠に同慶に堪えざる所なり。
獨り陸軍に於ける軍用犬に止まらず、以上の如く経済上にも、實用的家畜としても、又輸出入にも重大なる関係を有することは今更記載するまでもないことである。
以上の理由に基き、國家は速かに畜犬行政を確立し、優良犬の改良蕃殖を奨励指導すると同時に不良犬の整理撲滅を期せられんことを望む。
宮城縣愛犬家「畜犬行政の確立を望む」より 昭和8年
アスト、之れは僕の名前です。僕のお家は碑衾町自由ヶ丘の服部博と云ふお家の玄関の横です。僕に相當したきれいなお部屋です。
毎日きれいにおそうじして下すつて、とても氣もちがよう御ざいます。近頃はよく雨がふるのでたいくつでたまりません。
丁度九月廿一日の晩、御主人とお休みなさいの御あいさつもすんで、トロ〃と一眠りしましたら、なんだか足音が遠くからだん〃近よるような気がしましたから、耳をそばだてて聞いていましたら、お家の前で止つた様な氣がしました。
なんだらう今頃真夜中に、だつて一時……二時ですもの。御主人をお呼びしようかしらと思つて居る内に、静かにコツコツと閂を抜く様な音がします。閂のある場所と其の音は毎朝女中さんが開けるので知つています。
今頃女中さんでも無し、これは變んだ。
出様としたら何時もはすぐ開く戸が其の時に限つておしても、かじつて見ても開きません。
もう氣が氣でないので、御主人をお起しするよりしかたがないので、一聲二聲吠へました。それでも御主人は起きておいでにならないので、此んどは聲のあるだけ、吠へて〃、吠へ續けました。
そうしたら御主人が起きてきて、うるさいね何をそんなに吠へるの、静かにおしツていいました。泥棒らしい者が門をあけていますと申し上げたけれど通じないので、しかたなく又少し吠へて見ましたが、其の時に音はもうなんにもしませんでした。御主人に頭をなでられながら、仕方なく寝ました。
朝になつて女中さんが閂がはずれかゝつて居るのを知つて、急いで御主人にその話をしに行きました。御主人は出ておいでになつて、そうかそれでアストがとても吠へたのだな、良し良しいい子だ〃と頭をなでて呉れましたら、そのうちに泥棒が入つた〃と御近所でさわぎさしたら、御主人が女中さんに聞かせにやりましたら、三軒先の吉田さんのお家に入つて、だいぶ持つて行つたそうで、其の時の御主人の喜び様、ゑらい〃お前のおかげで泥棒にも入られず、これから先も安心が出來る。有難ふよ有難ふよと體も頭も、目茶苦茶になでて呉れました。
僕もうれしいので御主人の顔をペロ〃なめました。
吉田さんの家は犬が居ないのでせう、吠へる聲がしませんでしたもの。
御主人はうれしかつたので、元の主人にそれを知らせたら、元の主人もよろこんで其の事を會報とか云ふものに出すのだそうです。其の時の御主人の喜こんだ顔が忘れられない。これからもつと〃一生懸命、御主人を大切にして、いつまでもほめられる様に努める事にしませう。
そうそう僕は四月の廿日に生れて五ヶ月丁度の犬です。
元の主人が近々に僕を見にくるそうです。それまでにもつとお手柄を立て、今の御主人も元の主人にもほめられる様にしよう。もうくたびれたので、日記をつける事をやめます。
荒用淳子『アストの日記』より 昭和7年9月30日