十一月二十一日、シユツツ・フォム・ハウスシユツチングの所有者加藤閲延氏主宰でシユツツの血を享けた犬丈けの展覧會を催したが、出陳犬四十頭、森本元造氏審査の結果は
優勝犬
ヤンバ・フオン・シコクランド 丸亀 佐藤篤生
成犬牡 一席
シユツツ・フオン・フイルランド 朝鮮 久保康太郎
同牝
アンカ・フオン・ハタナカ 高松 近藤貫一
未成犬牡
ローン・フオム・ムラオカ 愛媛 本藤正美
同牝
ヤンバ・フオン・シコクランド 丸亀 佐藤篤生
幼犬牡
キツプ・フオン・フイルランド 高松 西田信一
同牝
ミニー・フオン・フイルランド 高松 別所克唯
昭和9年
ハタ號
軍犬として至高の使命を果す事四年七ヶ月、昭和十一年十一月二十一日名誉の戰傷死を遂げた。
昭和七年五月入隊するや直ちに滿鐡本線鞍山附近に出動し、鐵道巡察分遣隊並に奉山線錦州支那兵舎警戒勤務に服した。
殊に昭和十年五月、主力夏季討伐に出動し、留守隊の勤務員を補佐し、連日連夜警戒巡察に服務中、厩横上壁から怪滿人が侵入するを發見。盛んに咆哮、急を衛兵に報じた。
司令は直ちに異變を知り、兵二名を巡察せしめた所、今將に厩當番室より毛布二枚を持ち土壁を越へ逃走せんとする怪滿人を發見。機を失せず襲撃を命じた所激昂したハタ號は猛然と怪漢に飛び付き、その腕を咬み、たちどころに之を逮捕した。
又昭和十一年十一月岩永討伐隊本部小隊に属し、山岳地の夜行軍に當り常に尖兵と共に行進路の警戒捜索に服し、翌十二日朝敵匪三百餘名に對する猛烈な攻撃開始されるや、丁度この時西南方高地に約八十名の敵あり、安藤隊及び警察隊は之と交戰中にして本部小隊は之に協力を命ぜられ、該高地の北方に急進し、攻撃を開始するに當り小隊長は機を失せず、この状況を本部に連絡せんとしハタ號に傳令を托した所、勇猛怜悧、老巧な彼は山岳重畳の複雑地に於て克く足跡を追攝し、敵中突破の際頸部に盲貫銃創を受けたのにも屈せず、約二千米突の遠距離を十分間にして本部に達し、其の重大使命を全ふし、本部方面の戦闘を有利ならしめ敵に多大の打撃を與へ、遂に四散せしめるに至つたもので、その功績は抜群と云ふべきである。
「軍犬の第六回功章」より 昭和12年