Quantcast
Channel: 帝國ノ犬達
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4169

12月24日の犬たち

$
0
0

 

幸に長崎市に在りては他に蔓延を致さゞりしに、仝年八月廿六日同縣高來郡南串山村に一狂犬を現出して人を咬傷し、遂に發病して死に至らしめ、爾來同郡内に稍々蔓延の徴を呈し、同八月より本年一月下旬に至るまで已に十七人(實際届出に係る者)の咬傷患者を生じ、其中六人を斃すに至れり。
其人を咬傷せし狂犬は皆遁逸して、之を撲殺せざりしを以て果して狂犬病毒に由る者なるや否やを試験し能はざりしに、昨年十二月二十四日、南高來郡東有家村に一狂犬を出し、二人を咬傷せり。
然るに被害者の一人は幸に棍棒を携へ居り、之を撲殺したるを以て長崎縣警察部に諮り同村の獣医に命じ之を解剖して消毒せる倔里設林(※グリセリン)中に其脳及び脊髄を固封して之を長崎に送致せしめ、撲殺后二十七日を経て其脳及脊髄より六頭の兎に試植したりしに、其五頭は皆善く病毒に感染發病し、撲殺后廿七日を経たる狂犬脳尚ほ毒質を有し、狂犬病たる一定の症状を起して十四日乃至十八日の間に斃死し(接種より時日平均十六日間なり)、他の一頭は移植法の不十分なる點ありしため健全發病を免れたり。
尚ほ余は獣医の狂犬に関する剖検報告を閲するに、果して真正の狂犬病たる解剖上所見を證明するを得たり。
即ち左に之を記す。

第五高等中學校教授嘱託長長崎病院内科醫長 栗本東明述
『狂犬咬傷患者注射實験成績』より 明治30年

 

犬

 

小川武「コドモマンガペーヂ」より 昭和8年

 

帝國ノ犬達-サンタクロース 

小川武「チビ公日記」より 昭和9年

 

帝國ノ犬達-ヘロルド

 

去る十二月二十四日午前八時半頃、電話のベルけたゝましく鳴る。
愚妻が受話器にかゝるとH警察署より「本朝七時頃留置中の犯人が洗面中僅かのすきを見て逃走し、只今捜査中で是非主人に犬を連れて署に来るやう」との事でした。
丁度小生は小用のため自轉車にてH町に出発した三十分後のことであります。
H町までは約二里で、急げば凡そ三十分で行けますが、其日は途中親戚に立寄つて居た故、十時頃H町の犬友三好氏宅へゆきました。
すると同氏が何時にない顔をして小生の來るのを待ちわびて居ました。
其處で初めて前記の警察より小生へ電話のあつた事を知つたのです。
三好氏は「自分も先刻迄犬を連れて足跡追索に従事して居たがうまくゆきそうもないから殘念だが歸つた」と話される。
……此の時は事件後三時間は経過して居るのだ。小生は今から犬(アンザ號、牝、二年四ヶ月、バルドの仔)を連れに歸るにはどうしても四十分以上はかゝるし、既に相當時間は経過して居る。天気はよく風はあるし、一般の通行は次第に増す。等條件は足跡作業上益々困難なこととなるばかり……(申後れましたが、此の朝は八時頃まで濃霧がありました)。
何んと言つても電話と行違ひになつた事が殘念です。
日頃特に軍用犬に御理解深く種々御便宜御指導下さる署長殿に對し、直ぐに出動する事が出來なかつた事を思ふ時、自然と涙聲になり、三好氏に私は犬を連れて來ても成績は駄目に終るとも、真心だけでも盡さねば……、成績は別問題だ、歸つて來る……、署の方へは電話でそう傳へて置いて下さい。と直ちに自転車に飛乗つて急ぐ〃。
帰るや先づアンザに生卵三ヶあたへ、引張つて走らしては疲労して署に着いても役に立つまい……、大きい箱に入れて自轉車につみ出來るだけ早くH署へ到着した時、十時四十分。
來意を告げるや大變喜ばれ「何様もう時間が経過して居るからむづかしい事だが、こゝに犯人の鳥打帽がある」と申され手渡して下さいました。
小生はアンザと共に洗面所へ行き、其處で帽子を犬の鼻にもつて行き犯人の臭気を犬にあたへ、八米突ばかりの紐の端を片手に留置羽場へ向け「サガセ」の合圖で犬の後につゞく。
やがて場の入口より中へ、更に三號室の中へ入り、布團の端を咥へて力一パイ後へ引張る……。
「ヨシ〃」犬の頭をなで、是れで犬の頭の加減はよしだ……。
署の裏へ出で(道路)左か右か仕事にかゝる。是からは犬を先頭に進行した有様を記します。
署の裏の道路を左へ三〇米ばかり行き、右に町家の間を通り、道路へ出て、右へ向つて一〇〇米突、左へ曲り一五〇米突、右方へ小道を九〇〇米突行つて桑畑を四〇米突通つて小道に出、行く〃川の堤にそつて五〇〇米突たどり、橋を渡つて道路を左へ神社の境内で四〇〇米突、こゝまで行つて其の付近を捜しましたが不明です。
途中幾回となく帽子の臭ひで進んで來たのに、幾等試みても駄目です。
愈々駄目か、小生はタオルで汗を拭き〃署まで歸り、今一度犬を先頭に……、二回目は橋までは最初と同じコースを來たのに、圖に示す如く右の道路へ行く。
「エゝマゝヨ」
こうなれば何處までも行つてやる。凡そ橋より一五〇米突行つた處より左へ小道を通り、前の神社の境内へ行きました。
署へ歸る途中、考へますのに此の様に臭氣線には乗つて居る様に思へるから、署の近くに潜伏しては居まい。畜生の事だから當にもならぬが。
仕方がない犬はこうですと、右の経過を報告して歸りました。
勿論直ちに其の方面へ捜索網のはられた事は申す迄もありませんが、時間が餘程たつて居た爲め、實際は犯人が此の所を通つたのは三時間以前のことでした。其の後一ヶ月目、右犯人は山口縣下で逮捕されH署へ連行されました。
其の逃走経路を見ますと大體圖の示す様に申したさうです。
而し犯人が脱走して一生懸命なのだから、確實に記憶して居たか否や、犯人の申すには圖に示した付近で今迄の履物を変へて、山中を走つたさうです。
特に私は是れから訓練を致しますのに、主人の足跡も途中より履物を二回も三回も變へて訓練なし、他人なれば尚更です。
是れに時間の點を加へて大いに訓練せねばならぬと感じました。日頃犯人の履物、タオル、帽子等使用して其の人を追跡させて居りますが、良くやります。
家族の後なら、ニ三時間位後でも大丈夫後を追ひますが、愈々右の様な事件の時には、日常の訓練とは(一寸氣が付きませんが)まるで格段の相違があります。
大ていの場合作業に好条件は一ツとてなく、東京の黒豹事件も同じ事(記事で拝承)、かゝる時には大変な混雑を来たす故、臭気線はふみにじられ、時間は余程過ぎて犬が行くのだから果して順調に仕事をして居るかどうか……。
我々の様な未熟者にはほんとうに手の出し様がありません。阿部、村上、碓氷の諸先生、虎の巻の御公開を願つて筆を擱きます。
愛媛県 金井清武「未熟な為めの失敗談」より 昭和12年

 

帝國ノ犬達-サンタ 

昭和12年

 

警戒犬用法例

一、列車襲撃の企圖を断念せしめ、又運行妨害を防止す

延吉守備隊に於ては昭和十年八月匪情に鑑み部隊犬二頭を明月溝守備隊に派遣し、連日鐵道線路巡察或は潜伏斥候として匪情頻頻たる情況下に於て使用良好なる成果を収め、特に同年九月潜伏斥候には兵と協力、良く警戒監視に任じ、特に其鋭敏なる聴力を以て該地谷地方面より線路に進出し、列車襲撃を企圖しありし兵匪をして企圖を断念せしむるの止むなきに至らしめたり。

特に十二月二十四日、南溝亮兵台間の徒歩連絡を命ぜられたる河田上等兵の指揮する線路巡察に配属せられたる軍犬ラース號は、取扱兵茂野一等兵と共に勇躍任務に邁進し、亮兵台に向ひ前進中、新京基点三九二キロ附近約三百米に運行妨害を企圖しあるものを發見、兵の急射撃と共に急襲妨害を未然に防止し得た。

昭和10年

 

滿洲事變と共に〇〇獨立守備隊に軍犬班を編成して當面の業務を處理したるも、事變の推移と守備隊の實情とに鑑み軍犬の補充育成教育訓練等の廣汎なる業務を徹底せしむるためには守備隊より獨立せしむるを有利と認め、昭和八年十二月二十四日始めて當所を遼陽に開設せらる。次で昭和九年五月十五日編成を改變して〇〇守備隊司令官の隷下に入り今日に至れるも、固有の使命たる軍犬の生産、育成、訓練、補充並に軍犬取扱基幹員の教育に關する事項に就ては直接軍司令官の指揮を受く。

所内業務分担は前期の任務を遂行するため庶務、経理、訓練、育成、衛生の五係となしあるも、目下各部隊軍犬班要員の養成急を告ぐるの實情に鑑み、軍犬取扱基幹員の教育は最も重要なる任務となし、所員を挙げて之を担當しつつあり

關東軍軍犬育成所『滿洲に於ける軍犬事情』より 昭和13年

 

康徳五年十二月二十四日正午、距江分關勤務若園監吏は監視犬アレツクス號を帯同し、劉鳳楼巡役と共に三道溝方面に向け氷上を巡邏中、午後一時頃對岸より渡來する擧動不審なる一人を発見し接近するを持ちて誰何したるところ、彼は矢庭に逃走を企てたり。
依て若園監吏は機を逸せずアレツクス號に襲撃を命ずるとと共に、直ちに劉巡役と協力、之を追跡したり。
アレツクス號は命令一下猛然と之を襲撃し、彼をして逃走を断念するの已むなきに至らしめ、人犬協力克く之を逮捕し二道溝監視所に連行の上、身邊捜索の結果、衣下に生阿片五,〇一〇瓦を隠匿しあるを發見。之を押収す。
押収品 生阿片五.〇〇瓦
滿洲國税關監視犬月報より 昭和13年

 

犬

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和18年12月24日診察 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4169

Trending Articles