拝啓
多難の本年も愈々押迫り候折柄、益々御精穆の段賀上候。
陳者去る九月下旬、當隊出征の節献納せられし貴家愛犬オヴイーネ號を、戰隊の將士と共に率ゐて支那海の波濤を蹴り、江南の地に上陸以來、部隊随一の軍犬として各所に奮戰、遂に任務を果して戰線の華と散り候事、誠に痛恨の至りに存じ候。
我が聯隊は十月二日上海上陸、直に呉松を経て月浦鎮へ、更に降雨泥濘を冒して劉家行西方地區に進出、十月十八日より上海戰の攻撃に従事、又二十三日より上海戰の最堅塁孟家宅、清水顧の攻撃戰に従事仕候。
此の間オヴイ-ネ號は影の形に添ふ如く聯隊の進む所彼の至らざるなく、傳令に斥候に猛烈なる活動を続け、常に松木一等兵を主君として彼の命ずる所、鐡火も厭はず、其の功績は偉大なるもの有之候。
殊に廿四、五日の攻撃は實に勇敢決死の突撃戰の連續にして誠に壮絶の極み、鬼神も泣かす激戦に有之、オヴイーネ號も多數將士と共に此の戰場の露と消え、本部隊も一抹の淋しさを感じ居候。
然し乍ら、彼も亦勇敢なる無言の戰士として其の霊魂は永く〃戰場に止まりて活躍するものと信じ、常に冥福を祈り居り候間御諒承被下候。
部隊は幸に其の後御蔭を以て到る處敵を殲滅し、目下遠く南京を東南方に眺め、次期戰闘の準備中に有之候條御放念被下度右延引乍ら御報旁々御伺申上度如斯御座候。
敬具
十二月二十八日(昭和12年)
荻洲部隊添田部隊長 添田孚
佐野儀太郎様