第一週
第一日、第二日に温度に相當注意して平均温度を保つ様努力した。三日目よりペーチカの石炭の量を從前の通りに改め、耐寒の訓練を始めた。
從つて晝間の温度、明け方の温度はグツと降り、高い時で二十度、低い時で五度位にまでなることになつた。
四頭とも平均して發育良好、此の三日目に初めて體重の測定をした。
最高二一三匁、最低一八〇匁、標準より相當重いことが判つた。
一週間目の體重は最高二九三匁、最低二七〇匁。依然として好調である。
第二週
二週目末期に二頭眼が開いた。體重最高四五三匁、最低四〇〇匁。
第三週
本週初め全部開眼、中頃より牛乳の補給を始め、室内のため高さ一尺の枠を作る。耐寒訓練第二期、北向の室に移すことを中止し、夜間丈け玄關に移すことにした。
玄關の温度は零―零下五度(朝)、少々酷と考へたが斷の一字に決し夜九時敷草の上に毛布を敷き、そつと室から持ち出し、躊らう心を壓へて室に戻る。
夜中に覗いたが生きて居たので嬉しかつた。本週の體重、最高五八八匁、最低五三五匁、相變らず好調。
第四週
本週は挽牛肉一、茶匙牛乳と混ぜて補食させ始めた。
耐寒訓練第三期、劃期的英斷をした。何しろ前週末より三寒に入り、遂に本週始めは本年の最高を示すやうな酷寒が來たが、再び四温に返つたと云ふものゝ防寒帽なしには一寸外出は不可能である。
何しろ南滿の極寒が當地の四温に當ると思へば大差ない程度である。
今まで晝間五―十度足らずの室内耐寒訓練より夕方から零―零下五度の玄關の耐寒訓練を反復した私は、遂に腕前部にて歩く様な恰好の仔犬を無惨にも屋外犬舎に移した。十二月二十八日である。
犬舎の中には敷草は身體を埋める位入れてあるものゝ、仔犬達が胴慄ひしつゝやつとのこと兎の様な恰好をして泣き乍ら敷草の中に匍ひ込む様はいぢらしくてならなかつたが、私は午後一時から四時迄の太陽の當る三時間だと思つて室に引き上げた。
本週は出張のため週末體重測定中止。
(次回に続く)
扎蘭屯興安安東省警務科長・一水公道 昭和18年