氏は明治二十三年帝國議會開設に當つて其第一回總選擧に當選し、爾來十八回の總選擧に臨んで常に當選の榮譽を擔ひ、衆議院議員の顕職に在ること引續き四十三年、議會開設以來始中終議席を有して居るのは獨り氏のみである。
其間明治三十一年には文部、大正三年には司法の大臣に任ぜられたり、東京市長を二任期の久しきに渉つて勤續したりして居る。
氏はこれ迄種々の犬を飼育したが、最近はコリー種を愛養して居る。
之に就て氏は語る。
「曩にはスパニアルなどを飼つたこともあるが躯が小さい癖に強情で困つた。所がコリーを飼つて見ると實に利巧で氣持がいゝ。頭腦が敏捷に働いて、時には餘り働き過ぎて然うでもないことを叱られたのではないかと誤解して困らせることもある位だ。
初めは其の外觀が美しいと思つて飼ふことにしたのだが、飼つて居る内に頭腦の明晰さが判つて來て、今では躯型よりは性能に感心して愛育して居るんだ。人間でも矢張姿よりは頭―心が畢竟他の心を掴むことになるんだよ、君」
斯う語りつゞける尾崎氏には英國あたりの犬に對する理解ぶりを觀察して居るだけに、我が國民の犬を見る眼を矯正したい意向が歴々と窺はれる(昭和11年)
獵師 山本治郎氏、望月小太郎氏、尾崎行雄氏、清峯太郎氏(明治34年)
こちらは明治後期に尾崎行雄が飼っていた猟犬。撮影当時の彼は東京市長就任前、隣の望月小太郎は尾崎とともに立憲政友会へ転進したばかりの頃でした。
「尾崎と犬」について検索しても、政界で犬養毅とやり合ったエピソードしか出てこない……。