狂犬病・フィラリア・ジステンパーのうち、最後まで戦前の愛犬家を苦しめ続けたのがジステンパー(犬瘟熱・CDV)です。
狂犬病は明治中期にパスツール式豫防注射が、フィラリアに対しても網戸での防蚊から板垣教授のフヰラリア研究會などが開発した駆虫薬(副作用の強いものでしたが)や阪大のチームが編み出した心臓外科手術に依るフヰラリア摘出という対策法がありました。
しかし、ジステンパーだけは予防や治療が不可能。感染した犬達はバタバタと斃されていきました。
北里研究所のジステンパー豫防液も効果はそれ程期待できませんでしたが、当時の人々はこれにすがる他なかったのです。
以下、戦前におけるジステンパー治療の記録を取り上げます。
昭和10年の広告より
ヂステムパーの豫防に就て(昭和12年)
北里研究所 H.M.Shoetehtsach
北研の豫防液の効力試驗
(試驗日時)
十一月中旬實驗開始
(試驗方法)
拾頭のポインター系生後四ヶ月の犬を用意し、内五頭には本豫防液を豫め皮下に、第一回に二㏄を、次で四日の後更に二㏄を注射し、殘りの五頭は斯の如き豫防措置を講ずる事なく之れを對照とせり。
之等十頭の犬を傳染性の明らかな定型的ヂステムパー患犬と同居させ、感染の機會を充分に與へる様にして感染豫防効力の有無を檢した。
(成績)
對照の無處置犬は其全般が甚しい感染を起し、全部十七日以内に斃死した。之等は總て解剖に附し、病理解剖學的に細菌學的檢査を行つたが、何れも定型的なヂステムパーの變状を呈して居た。
豫防接種を施した方の犬は之れに反し、全く感染を受けたる様子なく、終始健康を保てるに由り、其全部を一ヶ月乃至一ヶ月半後に毒殺し、解剖して病變の有無を檢した。
其結果何れもヂステムパーの變化を少しも認めず、亦細菌學的檢査の結果によつても本病に感染して居らぬ事を證明し得たのである。而して此の實驗は十一月中旬から開始したものであるから、比較的正確な判定を下し得たものと信ずる。
(其他の例)
其他シエパード生後三ヶ月のもの二頭を前記感染試驗を行つた同一犬舎で豫防接種(間隔四日で二㏄宛二回)を行ひ、三日及五日後此等を他に讓渡したが、二頭共此の犬舎内で感染に抵抗し、其後も全く健康で成育して居るとの報に接して居る。
尚ほ之等の他に、Asterococus canisの純粋培養を用ひて實驗的感染試驗を行ふ場合に、毎常二、三頭の同程度の犬に本豫防液を注射して、對照の一分として居るが、未だ之等豫防接種を施したものには一頭の罹患犬も出て居らぬのである。
亦實驗的同居感染試驗に用ひた犬で、豫防注射時に既にヂステムパーの病状を呈して居たものが豫防接種の爲に漸次治癒したものが二、三頭あつた。
右の他多くの實驗を行ひ、本豫防液の豫防効力を試驗せる結果、本豫防液はヂステムパーの豫防に向つて有効なるもので有る事を知り得た。
(治驗例)
治驗例 一 時季四月
長野産純柴犬牡生後六ヶ月(體重拾瓩位)、二三日前より元氣なく少しく咳嗽あり。食慾なし。
之れに對し、四㏄の本豫防液を皮下に注射するに、翌日より食慾を生じ、咳嗽殆んど止む。之れは少し効力の發生が早過ぎて何の爲とも云へぬと思つて居た處、七日後に再び前同様の症状を表したので之れは矢張りヂステムパーの初期であつたのか、と更に四㏄を前同様注射した。
此の犬は其後既に八ヶ月を經過するが、其間完全に健康状態を維持して居る。
治驗例 二 時季十月
純ワイヤーヘヤード、フオツクステリヤ、牝
生後三ヶ月目に本豫防液の製法の未だ完成せなかつたものを二㏄宛二回豫防接種してあるものが、其後約六ヶ月後元氣なく、食慾殆んど無く、吐氣あり、下痢す、其處で初め他の病氣を色々疑つて見たが、診察の結果は結局犬瘟熱の初期と考へる他なく(註 此犬は大切に飼育され、寄生蟲等は全く認めない)、直ちに本豫防液二㏄を第一回に、次で四日後更に二㏄を共に皮下注射した。
其後二三日で食慾回復し、腸の症状も無くなり、僅か二週間の後には體重の増加著しく、其後五ヶ月を經過するが全く健康状態を保持して居る。
治驗例 三 時季十一月
シエパード、生後四ヶ月牝
近頃急に元氣食慾共に衰へ、一日に何回となく甘臭のある粘液便を排し、痩削著しく、且つ種々の薬劑を用ひたるも更に効なかりき。注射時は體溫三十九度六分、脈搏百十、鼻加答兒、結膜炎を起し、瘟熱疹を認む。
本豫防液二㏄を直ちに注射し、他に整腸劑を用ふ。翌日二㏄の豫防液を更に注射す。
一般症状輕快す。由つて更に次日二㏄を注射す。その後日を追ふて全快せり。
治驗例 四 時季十一月末
柴犬生後三ヶ月牝
元氣食慾共に衰へ咳嗽あり。鼻汁を漏す。痩削甚し。
注射時體溫三十九度八分、脈搏百二十。結膜炎、鼻カタル、及瘟熱疹を認む。
直ちに本豫防液二㏄を注射す。他に内服藥併用。翌日二㏄更に注射、一般症状良好向、依て次日更に二㏄の豫防液を注射せり。
症状輕快したるを以て一時様子を見る事とせり。其後全快したるを知る。
治驗例 五 時季十二月
テリヤ種生後三ヶ月牡
元氣、食慾共に衰ふ。十日餘り下痢す。種々の賣藥を用ひたるも癒らずと云ふ。
注射時體溫四十度二分、脈搏百二十。結膜炎著明、極度に痩削す。瘟熱疹は認めず。
直ちに本豫防液二㏄を注射す。尚ほ葡萄糖注射を行ふ。翌日更に二㏄の豫防液を皮下注射するに、一般症状輕快す。其後養生に注意せるに全快せり。
治驗例 六 時季七月
シエパード(牡)生後十ヶ月
二、三日前より元氣なく食慾不良、下痢あり、耳に熱感あり。眼賦を出し、鼻孔乾燥し、日々痩る、牛乳を少し飲むも毛を立てヂステムパーと認む。
直ちに本豫防液四㏄を注射し、翌々日更に四㏄を葡萄糖注射液一〇㏄と混じ各々注射せるに、病状輕快したり。
由て四日後更に二㏄の本豫防液を注射せり。以後日を追ふて全快せり。内服藥としては胃腸藥を與へたるのみなり。
其他多數の治驗例あるも省略す。
(続く)