著者 青村
時事新報社
明治35年
明後日が桃のお節句だとゆう三月の一日に、春子さんの学校は、新らしくふしんの出来上つた、そのおいわいの運動會をもようしました。
いろ〃の競技に、いろ〃の手がらをして、いろ〃の御ほうびをいたゞいた生徒の中でも、春子さんわ、一番好い事をいたしました。
「可愛い人形のおもりをしましよ。負うたり抱いたりさすりもしましよ……」
と大勢で一しよに遊戯をして居りますと、その中でも春子さんの声や姿や、一番可愛らしかつたので、可愛い人形のお雛さまを一つ、先生から御褒美にいたゞきました。
「マア、可いことねえ、わたしも欲しいな」
と同級生の秋子さんわ、およだを流さぬばかりにして羨ましがつて居りますので、春子さんも喜んで
「ジヨンやジヨン〃」
呼ばれて尾をふり〃飛んで来ましたのは、春子さんに従いて学校に来て居た、大きな逞ましい愛犬でございます。
春子さんわ直ぐにお雛さまを箱から出して、ジヨンの頸のところに載せて
「オゝ綺麗だ。私、いたゞいたのよ。お前も嬉しいだらう」
ジヨンも踊りあがつて喜びました。
「オゝ〃左うか。好し〃。ぢや一寸お前に貸して上げましよう。その代り失くしちや可けませんよ」
そのまゝ持つてゐた細紐でゆわいつけて、学校の庭をあちこち連れてあるいて居る中に、どうしたものか、お雛さまが、ジヨンの背中から見えなくなつてしまいましたので、春子さんわ吃驚して泣き出しました。お友達も一しよになつて探しましたが、見つかりません。
先生も来て尋ねましたが、見つかりません。
春子さんはいろ〃ジヨンを責めましたが、ジヨンわキヨロ〃するばかりで一向埒があきませんでした。
その翌の日も春子さんわ、どうしても思い切れないので、又た学校のお庭え、お雛さまを捜しに出かけました。その前からジヨンわ、何處かえ遊びに出て居りましたが、恰度今ま春子さんが、秋子さんのお家の前に通りかゝつたときに、その家の庭さきで、おそろしく、ジヨンの吠える声が聞えましたので春子さんわ、おどろいて
「ジヨンやジヨン〃」と呼び立てますと、荒れ獅子のような勢いで、門の内から飛び出したのはジヨンでした。視ると、口にわ、昨日失くなつた可愛い人形を咬えて居るでわありませんか。
「アラ、マア」
と春子が目を圓くしておりました。そこえ、ジヨンの跡から二三人の学校友達が駆けて来て、
「春子さん、私、驚いちやツてよ。だつてあなたのお人形を、いつの間にか秋子さんが持つて居たんですもの。そしてね、それを今ね、御縁先きえ持ち出して、昨日阿母さまに買つていたゞいたつて、話したの。
そこえジヨンが来たのよ。何處からか来たのよ。
そして行きなり口で咬えちやツたのよ。
秋子さん、可い気味ね。ほんとにジヨンわ豪いわ」
春子さんは、お雛さまをジヨンから取つて、その頭を撫でゝやり
「えらい〃、お前わえらい」
「可愛い人形のおもりをしましよ……、ねんえしておきたら太鼓や笛で、ドン〃ピピドン〃ピピ遊びましよ」
ジヨンの頸え又た人形をゆわいつけ、それを真中に取りかこんで、可愛らしい学校友達わ、又た余念なく歌いはやすのでした。

盗られて獲っての人形争奪戦。どこがオトギバナシなのだ。
当時はクラスメートのことを「学校友達」と呼んでいたんですねえ。学校にペットの犬を連れていく話もよく見かけますが、学校によっては寛大だったのでしょうか?