生年月日 昭和7年
犬種 シェパード
性別 牝
地域 大阪府
戦前から戦後にかけて荷役犬は特に珍しい存在ではなく、商品や漁獲物の運搬、身体障碍者の移動手段などとして活用されていました。
軽車両の普及と共に、これら荷役犬は姿を消していきます。
犬車を曳くピーア
車重 十二貫
車輪 前車十吋、後車二十六吋
車體吋 ボデーよりステツプ迄五十吋、横幅三十吋、高さ四十吋
附属品 フートブレーキ、照明、停車鍵
初め手綱を用いましたが、余り敏感過ぎるので只今は声符にて訓練中です。
これを作つた動機は、何時か會誌に軍用犬の資源は先づ家庭の理解からといふ意味が述べられてありましたが、これには何分家庭に直接利益のあるものを、犬にやらせるのが大事と思ひましたので、子供の幼稚園行の犬車を試作して見ましたが、成績はきはめて良好です。
お子さんのあるかたは、是非これを試みられたら家族と犬との内に一層親密さを醸す事が出来ると思ひます。
大阪 西木氏 昭和8年
この犬車に対し、西木さんの奥様よりコメントをいただきました。
◆
「愛犬のコンジシヨンを悪くするのは、七割迄女共だ」
是れは主人が私共や女中によく申しました叱言で御座います。
余りに犬が好き
で無かつた私共には、一にも二にも犬であります主人の態度に余り好感が持てませず、それに子供の玩具は毀しますし、靴や下駄は臺なしにして終ひ、干物等も
メチヤ苦茶にされますし、殊に老人が大切にしてゐます植木鉢や庭木を根こそぎ倒したり、随分の悪戯をしますので、犬に對しては、全家族が、挙つて反對であ
りました。
それだのに、主人は軍犬報國だ、今に此の犬が立派に國家の為に働く時が来るのだ、と獨りで頑張つて、限り無き努力を拂つてゐるのでした。
さうして、犬に関する展覧會や、愛犬家の集會には、何んとか理屈をつけて、私や妹を、無理矢理に携れて行き、何かと説明してくれたりするのでした。明かに私共に對する宣傳なのです。
そんなこんなで、主人も随分苦心をしてゐるのでした。
思ひ掛けない土産等を持つて帰つた時には、キツト犬のものを買つた時なので、一家のものも蔭で大笑ひをするのでした。
そんな事で、妹等も、こつを知つて、何か買つて貰ひたい時は、犬の世話を手傳つたり、矢鱈に犬を賞めたりして、先づ主人を喜ばしたmのでした。将を射んとするものは先づ馬をの戦法なのです。
一度より二度、と集會等に同道してゐる内に、犬に興味が持てない迄も、映畫などの面白さに遂釣込まれて、犬に對して全然反對と云ふ気分だけは無く成りました。又、無理に賞めたり、仕方無しにした世話等から、少しは可愛いさを感じる様に成りました。
その時です。
或る日、主人が大きな車を持つて帰つたのです。
それは、主人の新案で造つた「犬車」です。是れで子供を幼稚園に通はすのだ、と説明します。
成程立派に出来てゐますが、果して犬が引くものかどうかと思ひました。
主人は毎日の様に、犬車を引出して訓練を始めました。その努力で、遂に犬一頭で、参十貫以上のものを、楽々と引いて、大道をサツサツと、足音も軽く走る様に成りました。
然も、言葉で完全に操縦出来るのですから、子供達が大喜びに喜んだのも無理ありません。毎日早朝から、犬車で大騒ぎに成りました。
老人も、私共も、遂子供の喜ぶ事から引込まれて、犬の利口さを心から賞める様に成りました。
主人は軍用犬の家庭化だ、と大いに得意になつて居ります。
それよりも、一家が皆な愛犬家に成つた事を主人は限り無く喜んでゐる様です。私も、此頃では訓練の手傳ひをしたり致しまして、訓練にも、興味が持てる様に成りました。
本當に私共は、こんな有能な犬を知らないで頭から嫌つてゐた事は、今更ながら悪かつたと思ひます。
でも、世間には、私共の最初の様なお氣持ちで、今尚ほ犬に充分の御理解の出来ぬ方や、興味を感じられない方がお有の事と思ひます。
故非改めて戴きたいと思ひます。
私共は、只今では、軍犬報國は、獨り主人の仕事では無く、大いに協力せねば成らぬ事だと思ふ様になりました。
「軍犬報國は家庭から」と申して良いと思ふのであります。
此點主人に感謝して宜しいと思ひます。軍用犬を家庭化する為に、拂つた主人の努力が今實を結んだのです。
此際、帝國軍用犬協會の方々も、今少し家庭的に、普及宣傳をなさる事が急務ではないかと思ふのであります。
私方の犬舎ではシエパード四頭が、皆から愛せられて、何の気兼ねも無く、秋高き大空のもとに伸々と暮してゐます。
西木きぬ子「軍用犬は家庭から」より 昭和9年
↧
ピーア・フォン・デル・ラッソ(荷車犬)
↧