私は昭和十四年〇月〇日内地仙臺市より軍犬として勇躍渡満する光栄に浴し、
斯くして〇日に亘る陸海の輸送も無事、大陸の第一歩を踏む大連港に上陸し、大休止後大連発〇時間後遼陽驛に到着するや、所員及我々を訓育する将兵〇〇〇名が驛構内に出迎へて呉れた時、僕は此れ程うれしかつた事は有りませんでした。
同時に誰が僕の訓練者だらう、出来得る事なら親切な短気でない第二の主人を迎へ難いものだと念願せざるを得なかつた。
處が計らずも僕を訓練する人は今回の教育教官で、然も仙臺出身の〇〇少尉で、初めて箱より出して貰ふと直ぐ、君は僕の部隊に補充になるんだよ。今日から僕が約一ヶ月余教育して一緒に任地に生死を共にするのだ。何にも心配するに及ばん。
第一保健に注意し誠心誠意努力するんだ。
決して他犬と喧嘩口論するんぢや無い、と注意して呉れた時から此の〇〇少尉が好きになり、一ヶ月間の速成訓練の査閲も良好なる成績にて終了し、〇月〇日任地黒河省勝武屯に到着しました。
當時郷里仙臺の真冬の一番寒い時より若干楽な位の寒さで驚かざるを得なかつた。
到着の第一夜は先輩と共に煉瓦建の立派な軍犬舎に行く(犬房三平方米、前庭三平方米のコンクリート叩)之は君の犬舎だ。ヨゴスナと仙臺弁で言ふて休ませて貰ひ、旅行中の披露を充分恢復する程休養し、翌朝先輩達と共に野外手入場に繋留されたら、先輩のアルフ號君が僕の側で無闇に僕を見て怒つて居りますので、僕の訓練者(當部隊の軍犬班長)が不可ナイと強い声で怒りましたら、アルフ君すつかり伏臥して悪びれて居りました。
處が後で聞けばアルフ君は我が軍犬班中一、二位の優秀犬で一番喧嘩好との事です。
其後君達は今度内地から急に寒い處に来たから寒地に馴致して後、訓練勤務に服すのだと言ふて逐次馴致訓練を一月下旬迄毎日實施せられ、其間一番寒いのは零下三八度位だつたと記憶して居ります。此訓練も無事終り、十二月二日に班長の命に依りいよ〃第一線たる江岸勤務を命ぜられ、訓練助手たる某一等兵と共に警備の任に就いて毎日巡察、斥候、警戒の重任を寒気を克服しつゝ無事果し、間もなく第一線の正月を迎へました。
其の際兵隊さんに内地から正月だと言ふて御餅や色々な慰問品が参りましたが、僕等軍犬は同地にて同様警備勤務に服して居るが、唯一人として慰問品が来ないので何となく心細く感じました。
銃護の皆々様は吾々の苦闘は充分知つて居つても、慰問品の事迄は御気附無いものと思ひ、茲に一同を代表して申上げる次第です。
尚其外、僕が北満の雪積地帯で心細く感じた事を末書し、参考に致したいと思ひます。
軍犬にも偽装衣の必要を痛切に感じました。
白色雪積地帯で兵隊さんは白衣を着て充分偽装して居るのに、僕は黒色毛を露出して第一線を横行するので敵から直ぐ発見せられ、兵隊さんに迷惑を掛けはせんかと思ひます。
而し近日中に僕の取扱者が慰問袋を縫ひ合せて偽装衣を作つて呉れるとの事でしたから、一日も早くと待つて居る次第です。
今後は偽装衣を着て、訓練者と寝食を共にし、人犬一體となり存分活動し、當部隊の任務遂行に貢献し、物言わぬ勇士の意気を示し、将来軍犬の亀鑑たらんとする覚悟です。