古来、犬は安産の象徴とされてきました。
我が家の犬も安産でしたし、苦労といえばお産に付き合って徹夜したこと位しか思い浮かびません。
ただし難産になる場合もありまして、そういう場合は獣医さんに頼ることとなります。
それは明治時代も同じでした。
下記は、母犬を救うために死産の仔犬を処置したケースです。
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家畜獣中屢々難産に遭遇するは牛及馬を以て最とすると雖も、犬に在つても決して稀れなりと云ふを得ず。
殊に小犬に於て然りと為す。
即ち余の左に報道せんとするハ、或る小牝犬が異種の大牡犬と交尾し、克く懐孕せしも、其胎児両搏の停滞せしが為め、遂に整規の分娩を遂ぐる能はざるものに對し、截胎術を施せる一實験にして、別に興味を有するにあらずと雖ども、亦た以て吾人餘程實際上の一参考に供するに足るを信じ、曩に陸軍獣医志叢に掲載せしが、今亦社員の懇請により本報の余白を汚す事とせり。
府下小石川原町某の畜養犬
鼻端より尾基に至るの長さ四五仙迷(センチメートル)
(稟告)
去る二十一日午后四時頃より分娩を始め、懊悩苦吟以て今日に至るも僅かに胎頭を産出するのみにして、全く分娩が終る能はず云々。
(現徴)
明治二十五年十二月二十三日午前十時之れを診するに、動物は前日來陣痛の為め殆んど虚脱の状を呈し、顔貌憂苦、両眼に涙を浮べ鼻端乾燥皸裂して塵埃を付着し、脈搏細数恰かも纏の如く、呼吸ハ却て沈衰し殆んど平時に異ならず、食欲は全く欠乏して肉を投ずるも注意だにせず。
之れに歩行を強いたらば蹌踉として僅かに一、二歩を運ぶに止まり、陰門には胎頭を露出し、其近囲寧ろ后半身毛絨ハ羊液の為め團々たる塊束を無し、且つ著るしく塵埃を付け汚穢不潔殆んど名状す可からず。
道産は全く乾涸し胎児は既に其生活を失ひ、胎頭は厥冷して之れに触るれバ恰かも氷の如し。
先づ動物を藁上に横臥せしめ、一%の微温クレオリン水を以て外陰其近囲を洗滌する。后ちオレーフ油を示指に塗抹し以て内検査を施さんとせしも、児頭の為め緊張して其餘地を失ひ、到底之れを挿入すると克ハず。依て示指に代ふる小指を以て辛く触診を遂ぐるを得たり。
而して其成績は下記の如し。
胎向は前胎向にして胎位は薦背胎位を占め、両前肢は全く腹下に屈曲して其の両搏の前面母体の耻骨前縁に支障せらる。
以上の如くなるを以て、余ハ之に回転術を試みんとせしが、児頭の大気に触れ為めに著るしく膨大し、唯々僅かに前后の活動のみにして到底之れを實行する能はざるに依り、断然截胎術を施す事に決せり。
(手術法)
先づ産道の摩擦を減ぜんが為め、阿列布油を充分塗抹し且つ露出胎頭の施術に妨げあるを以て介者に之れを挺伸せしめ、母体の水平即ち胎児の后頭載域関節部を切離し、且つ頚椎の切断而には鋏を以て其鋭利を殺ぎ、以て母体粘膜の負傷を豫防すると同時に胎児頚基には貫綿糸を通じ其復位を妨げたり。
是に於て容易に示指を挿入し尚を前診案の誤りなきを確むるを得たり。依て先づ前肢を除かんが為め慎で左側肩甲骨上部より同骨の周縁に沿ひ大凡そ其中央部迄皮膚とも鋏切し后ち該上端に環状鑷子を箝し、軽ろく之れを牽曳せり。
然るに容易く肩搏関節部迄曳出するを得たるも、尚ほ遺残せる皮膚の剥展して同部に留まるを以て悉く該皮膚を鋏切し、遂に全く左前肢を除きたり。此の際、既に分娩に困難ならざると信じ貫腺せる胎頭を牽くも未だ右前肢の支障する處となり、容易に分娩せしむる克ハず。依て同じく左前肢の方法に依り之を除却せり。
是に於て胎児は僅か腰部の困難のみにして趣く娩出せしめ、尚ほ引続き胎盤をも併せ除くを得たり。
又た第二胎児の無を検せしが更らに之れを認めざりき。
右終つて〇、五%の微温硼酸水を以て子宮内を洗滌し、且つ動物著るしく衰弱せるが故に左の飲剤を投與せり。
ブランデー 一、〇
水 三二、〇
右二回に分服せしむ。
其他畜主に左の飲剤を持ち帰らしめ、且つ時々珈琲汁の少量を與ふることを慫通せり。
酒石英 六、〇
亜麻仁煎 一〇〇、〇
右一日三回宛、二日に分服せしむ。
爾后、該犬は更らに何等の継発症なく全く健康に復したり。
陸軍二等獣医 黒須宗直 「犬に於ける難産の實験」より 明治26年
ブランデーといえば、牛馬にせよ犬にせよ、滋養強壮にお酒を活用していた獣医さんの記録を見かけますね。陸軍獣医学校の医薬品にも「赤酒」が記載されていたり。
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犬の難産手術・明治編
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