土地により猫にノミの居ると居らぬとは如何なる理由なりやとは、余が先年陸奥國南部にありし際、友人より受けし質疑なり。
余が郷里にては夏は犬も猫の様ならばとは能く愛犬家の称ふる處にて、猫にはノミの居らぬものとのみ思ひしに、過る歳、滞京中時々猫のノミ猟りを見、暖國にては猫も亦襲撃を免れぬものと考へ居たるに由り其趣きを話せしに、友人は左の事實を挙げて之に反對せり。
曰く、函館産は犬と同様なれども、南部産は其かげだに見ず。
故に、函館の愛猫家は態々南部産を輸入する者尠からずと雖ども、其特性は一大にして消滅し、其の子孫は必ず土地産のものと同様となる。
而して気候は却て南部より函館の方寒し依之見之必ず他に理由の存するものあらんと。
余は其の后二三の先輩に質せしに更に其要領を得ざりしが、此頃又前同様の説を聞き余の疑團益々解けず、由て貴重なる報の割愛を乞ひ、大方諸士の教を乞はんとす。
右は如何なる理由なるか、且他地方にも斯る説の存するや否や、幸に軽々看過せらるゝことなく、御教示を賜はゞ、幸甚之に過ぎざるなり。
信陽 S・T生 「猫に生ずる蚤に付大方諸士の示教を仰ぐ」より 明治24年
「戦前の台湾には、マラリアはあってもフィラリアは無い」という研究結果と似ていて、このノミの話もおもしろいですねえ。
「愛犬家」「愛猫家」という日本語はいつ頃から使われていたのでしょうか。
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陸奥の蚤なし猫
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