Quantcast
Channel: 帝國ノ犬達
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4169

アルフ(民間盲導犬)

$
0
0

生年月日 昭和14年12月28日生まれ 
犬種 シェパード 
性別 牡
地域 東京府
飼主 鈴木彪平氏

戦時中に活動していた民間盲導犬。
戦後に栃木盲導犬センター(東日本盲導犬協会)を設立した鈴木彪平氏を誘導していました。

鈴木さんについては下記をどうぞ。何故か、拙ブログへのリンクも貼ってありますが気にしない。
リンク先の盲導犬アルマと、当記事の盲導犬アルフは別の犬です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%BD%AA%E5%B9%B3



シエパード犬を使役化する上に於いて、盲人誘導犬を完成せしめ、又完成せしめんとする努力ほど、人間とその生活にとつて高貴な仕事はないと思ひます。
只残念なことは、自分にその力がないことです。只たまたま茲に一人の盲人と相識り、請はるゝまゝに一頭の仔犬を託すことが出来たので、その後の光なき人と愛感限りない犬との生活に對する手記をかゝげて、僅かに自分のこゝろをも慰めたいと思つてゐます。

鈴木彪平さんは、もと明大の籠球(※バスケットボール)選手で、盛にその選手生活に於て活躍してゐたのですが、昭和十一年秋、その對抗競技中、肘が眼にぶつかり、片眼の視力を失つたのですが、その時医者から絶對に運動を禁じられたのに係はらず、選手としての責任と、自からの闘志に堪へず、再び競技をやり、此の時球がもう一方の眼に當つて眼底出血のため遂に昭和十五年五月に両眼とも完全に光を失つたのです。
最初片眼の視力を失つたのが廿三歳、今廿八歳の青年の鈴木さんは、まるで私達のつかふスクラツプブツクのやうな、そして大きな厚い路可傳(※ルカ福音書)を抱へ又厖大な點字の英語辞典をつみあげて、光のない世界で智識を求めてゐます。

今その感情の獨立と生活の凭りのところをシエパード犬に求めようとする鈴木さんの手記をかゝげて、自分らのシエパード犬に對する態度や考へ方に對して何か忘れてゐはしないかと思はれる敬虔な感情を取り戻して自らの反省に資したいと思つてゐます。
(岡田虎雄記)

鈴木彪平氏手記

昭和十五年三月十九日
〇〇さんより“ゴゴ七ジ コイヌツレテユク エキマデ ムカエタノム”の電報をうけとうた日から、自分のところの家族となつたシエパード犬アルフは私の無聊を慰めてくれる唯一の友となつた。
朝から夜迄、五回の食餌。糞尿、敷藁の世話に私の一日の時間は多忙を極めた。
アルフは三ヶ月にも満たない仔犬であつた。

四月一日
自分の住居から五町程離れた姉の家迄アルフを左手に、ステツキを右手に見えない道をアルフに三分、ステツキに三分、あとは地形や風向きをたよりに初めて獨り歩きをした。
出がけに危ぶんでいた母も、私が無事に姉の家迄往復して来たのを見て驚異と喜びに迎へてくれた。

私の心には自信の念が勃然と湧き起り、次の日から一日すくなくとも二回はアルフと共に姉の家までのコースを往復した。
此のコースは、曲り角が四ヶ所、その半分は舗装道路、半分は畠の中を通つてゐる。砂利道から舗装道路への連絡は明瞭であるが、舗装道路から砂利道への連絡は餘程注意が必要であつた。
アルフは未だ私についてくるといふ程度で、草野ある畑路ではよそ見をして道草を食ひ、曲り角や障害物を教へる事もせず、私が溝へ落ちたりすると却つてじやれて困らせたりした。
満ちに迷つた事も四五度あつた。迷つたり溝へ落ちたりすると私の自信も崩れかけるが、又勇気を奮い起してアルフとの歩行訓練をつゞけた。

かくする内に四月もすぎ、五月もすぎ、アルフも次第に大きくなつていつた。
六月に入る頃にはステツキが無用となり、畑の中を眞直に通つてゐる二町餘りの砂利道をアルフと一緒になつて駆足などする事も出来た。
此の頃、アルフの発育の為に私に付添ひの少年が閑々に原に連れて行つてボールを投げて取りにやつたり、脚側行進のやうな練習をしてゐた。

八月に入つて、今迄の四ヶ月間つゞけたコースを変へて、同じく私と姉の家の間ではあるが、曲り角が六ヶ所ある、以前のコースよりも複雑な裏の細い道を選んだ。
この新らしいコースにも大きな失敗もなく、五分をアフルに五分を自分の感覚にたよつて、毎日歩行をつゞけた。同じく此の頃から姉の家より二町程先きにある兄の家までも、危なげなくアルフと行くことが出来るやうになつた。

九月に這入つてからは魚屋や八百屋へもゆけ、自動電話のところ迄もゆけ、いろいろ用事が出来るやうになつた。
このやうにして、益々自信を強め、新しいコースの選擇延長を計りつゝある。
アルフは気性の荒い方で、誘導犬としては不適當であるかと思はれたが、それにも係はらず私の杖となり羅針盤ともなつて呉れてゐる。

十二月廿九日に私は姉の家の隣に移つたのでコースを全然新らしくし、驛迄の人や車の交通の激しいコースを日々練習歩行してゐる。
以上は誘導犬の訓練に就いてまるで智識のない自分流の方法で訓練したのであるが、いつも考へることは、如何なる訓練が最も良い方法なのか知りたいと念じてゐることである。
獨逸、米國あたりでは誘導犬の訓練並び利用が普及してゐると聞き、又我國でも最近傷痍軍人が此れの使用を實際にしてゐると聞いて、日本でも誘導犬の訓練と利用が普及し、盲人に新たな光明が與へられる日の近いことを切望してゐる。



以上の手記は鈴木さんが口述されたのを書きとつて私の手許へ送られたものです。
この手記によれば、ステツキが無用になつた六月頃は、アルフは十四年十二月廿八日生れなので、満五ヶ月ほどの仔犬でありました。
自分達のところでは、この時分の仔犬の可愛いゝ最中で来年のジーガーを夢みたりして無駄な時をすごしてゐる時代であるのに、アルフはその盲の主人から杖を手放さしめました。
私はそれを想ふと、瞼の底に熱い涙を感じないではゐられないのです。
溝に落ちた盲の主人にじやれついて遊ぶ無心な仔犬の姿に、無限な愛感を感じると共に、シエパード犬に課せられた大きな使命に相到し、並人間に課せられた大きな課題についても厳粛な気持で何か考へることがなければならないことを思ひます。

アルフは、Bero v. Deutschen Werkenの血をその父系の二代に、Fussan von Fussenの血をその母系の二代に持つた仔犬でした。
私がこの一月の初めに鈴木さんを訪ねてアルフを見た時、発育の状態も悪かつたので、病気に對する抵抗力について危なかしい気持ちがしてゐたのでしたが、日夜忽忙とした生活に追はれてそのまゝになつてゐたのでしたが、この稿を書いてゐる日の七日許りまへに、テンパーで急死した報せを受取りました。
私は無量な感情に今うたれてゐます。

鈴木さんより送られて来た歌をこゝに付記して、この稿を終ります。
昭和16年2月19日 岡田虎雄

犬
犬

犬

岡田虎雄・鈴木彪平「盲人とシエパード犬の話」より 昭和15年

ベロ・フォン・デン・ドイッチェンウォルケンについてはこちらを
http://ameblo.jp/wa500/entry-11601153182.html
フッサン・フォン・フュッセンについてはこちらをどうぞ。
http://ameblo.jp/wa500/entry-11943897549.html


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4169

Latest Images

Trending Articles