数年前、予が大磯別荘にスタツグハウンド種属番犬牡一頭牝二頭を飼養しつゝありしに、或夏の夜二時頃其愛犬の内フリート、予が寝間の雨戸を破らんばかりに飛びかゝり、頻りに吠へ何にかを告ぐる如くをなすを以て、不審に思ひ、雨戸を開き見しに、庭内の一隅に盗賊悲鳴を揚げつゝ愛犬ヒーロー及ジヤキと闘争の最中にて、ヒーローは肩部に噛み付き、ジヤキ袖を銜へ居りたり。
予は直ちに戸棚より護身用のピストルを取り出し空砲を發を見舞ひたり。
盗賊は實弾と思ひてか狼狽、取るも取りあえず逃げ去れり。
翌朝其場所を検せしに、鮮血の斑點地上所々に印せられ、殊に裏門の扉にも多く印せるを発見せり。
其場所の傍に二尺余の抜刀と片袖落ちあるを見出せり。
予が是迄多年経験せる番犬の盗賊に對する行動、此時より大なるはなし。愛犬の内ジヤキは過般故伊藤公爵の御懇望により譲り渡したり。
怜悧なる番犬は番人五人前位の働きをなすを以て、経済上得策なるのみならず、平常愛玩用の道具となるを以て欧米各國にては中流以上の家には必ず二頭飼養せざるはなし。
我國にても年々飼養者増加しつゝあり。
田中友輔「番犬飼養法の注意」より 明治44年
この「スタッグハウンド」が、絶滅してしまったイングリッシュ・スタッグハウンドなのかアメリカン・スタッグハウンドなのかは不明です。
しかし、明治時代の日本に輸入され、ペット店で流通していたのは事実。
取り敢えず、大正時代のスタッグハウンド販売カタログをどうぞ。
大日本猟犬商會カタログより 大正6年
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スタッグハウンドの日本史
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