鹿児島県姶良郡は霧島の麓、宮崎県えびの市との県境にあります。
狩猟ゲームの適當なる保護蕃殖
現今の狩猟家は都鄙の別なく其手腕経験と使用機関に於て實に長足の進歩を示し、殊に昨今至る處クレー射撃の奨励勃興に伴ひ、初心者も亦能く操銃装填の要領を會得し、此處に二三猟期を送迎して一廉の狩猟家たり得るの現状あるは論を俟たず。
されど一面に於て吾人の目的たるゲームの状態推移に顧みる時は、實に寒心失望せざるを得ざるものがある。其年と共に年々減少し行く各ゲームの保護蕃殖は、刻下焦眉の急務たるを断じて疑はないのであるが、一方狩猟家の腕は之れと正反對の趨勢を示すのであるから、本問題の善後の具策は吾人底鈍の頭にては直に以て判断に苦しむのである。
之を畢竟するに本項に就ては前段屢述の要旨に従ひ、各自狩猟家が真摯に狩猟の意義に對して善良なる其了解と狩猟道徳の涵養とに俟ち解決さるゝであらうと信ずる。
尤も我が國の狩猟界が欧米先進國の様に一般的に遺憾なき発達を遂げたならば兎も角、今日の場合強て之を望むは甚だ無理難事たるを免れまい。要するに全國各地の須要猟區に對し一定の期間宛猟區制を布き、之を絶對励行せざる以上其効果の挙否は議論の餘地を發見するに苦しむものである。
甲種猟獲の禁止又は捕獲数制限の可否
甲種猟者の存廃及捕獲数制限の可否に附ては吾人各々嗜好に差別ある以上、一概には論断し得ない處である。併し網猟等は一獲直に数十羽を捕獲するに難からず為にゲームの減少を急激ならしむるの憂はるは論を俟たない。
故に今日の場合、進んで之を禁止し平等を楽しみを頒つの意義に於いて断行するを望む所以である。
網猟に至りても往々危険常に伴ふを以て制限を加えて其一部分を許し、厳重なる取締を望みたい。
捕獲制限の如き、或は此の趨勢にて進まば早晩欧米の例に倣ひ實施の日あるべからんも、吾狩猟界の實情に照らし、忌憚なき観察よりする時は本問題との懸隔殊に甚だしきを感ずる次第である。
雌鳥狩猟禁止の可否
右禁止の可否に附いては要すれば絶對励行の必要を認む。
然れど現今に於ける各狩猟家の實際に顧みる時は果して如何之を禁止後に於いて的確に励行し得るか否なや。假に狩猟家が實際ゲームに對立したる時、其心理状態を観察し、茲に冷静なる第三者の位置より批判を試みるに於て、初めて了解域に達すべきかと思ふのである。
我地方の猟況其他總て狩猟畜犬等に関して我姶良(あいら)郡に於ける地形及猟況其他に於いて之を紹介し、以て本稿を終はりたいのである。
本部は鹿児島市を東北に約二十哩を隔て、肥薩線東北に貫通す。
南に錦江湾を臨み、爆発せる櫻島と直面し、北に霧島、東に高隈の雄峰を眺め、全部十有八ケ村よりなる。
更に之を三區畫し左の称あり。
即ち東八ケ村を東部、西五ケ村を西部、北五ケ村を北部と称し、縣下大郡の一に数えらる。
殊に東西の七ケ村は錦江湾に南面し、水禽猟に著名にして、北は遠く霧島の霊峰に接触し、ゲームに豊富なる其名既に高し。
更に之を狩猟界より観るに、縣下の先進部とし、自他共に之を許し、狩猟團體の如き各部に設置され其組織基礎の完備せる多く、他に比を見ず。
就中東部猟友會の如き、實に會員四百を数え、會長以下幹部にその人を得たるが故に、秩序整然、春秋の二季競猟會及懇親會屢々開催さるゝもの尠なしとせず、而して會員の約三分の一は飛鳥猟に尤も経験を有し、其手腕實力又侮る可らず。
畜犬に至りては長短毛の各種に富み、之れが選擇と飼養管理とに俟ち抜芸優秀なる實用的猟犬に乏しからざるは縣下の斯界に一頭地を抜く所以なり。
想ふに本部が今日の名を為す素より故なきにあらず。夙に我狩猟界の為め犠牲的覚醒の各先輩に富み、銃砲の鑑別、射撃法の指導、猟犬の改善馴致等、多年鋭意努力以て幾多後進者の為に其労を吝まざりしに依るべきなり。
鹿児島縣東部猟友會 顧問 山内慶治「狩猟團體として」より 大正13年
イロイロ書いてありますが、鹿児島の猟犬のことはちょっとだけで残念。薩摩ビーグルの話とかやってほしかったのですが。
明治大正の頃は、ハンター数の増加に伴って乱獲や密猟といった問題が顕著化していました。
獲物がいなくなればハンティングどころではなくなる訳で、当時は狩猟界が率先して禁猟や鳥獣保護を唱えていたりします。しかし、自然が豊かだったように思える地方でも状況は同じだったんですねえ。
↧
鹿児島縣東部の狩猟界 大正時代
↧