同縣は却却大きな縣で山國であるから、「長野の柴犬」と一口に言ふ事は出來ない。
数年前迄は木曽にも却々良いのが居た。一體同縣下のものは小型で、且つ毛色の美しいのが多い。
俗に緋赤と云ふ毛色が多い。而して一枚赤の爪黒も多い。
柴犬としては相當のものと云ふ事が出來るけれど、反面には缺點も多々ある。
同縣下のものには丸眼、出眼のものが澤山に居る。筆者の郷里ではこれを信州カメと称して居るが、世間では柴犬と見做して居るから、此處では假りに柴犬として取扱ふ事にする。
其れから下顎の突出したもの、即ち歯の喰ひ合せの悪いのが相當に居る。體格が小さくなればなる程、出眼やアンダーシヨツトが多い。
凡ての犬が體格を矮化するとか、或は近親交配を累加すると出眼やアンダーシヨツトになる傾向があると見へ、西洋犬でも愛玩犬には此れが多く、日本の狆や北京の狆もこれである。
故に信州カメと云ふのは、果して外國の小型犬を混入したものか、其れとも矮化から出たのかは疑問であるが、柴犬としては出眼やアンダーシヨツトは感心は出來ない。
同縣全般の柴犬の事は筆者には判らないけれど、比較的人口に膾炙されて居る南佐久郡には良柴は居ない。これは十数年前から既に居ないのに、評判だけは大したものである。
一般には餘り知つて居る人は少ないかも知れないが、下伊那郡の富豪の原健吉氏は信州柴の優良種を飼養して居る方で、隠れたる柴犬の功労者である。
縣南を隅から隅まで捜索して、確信あるものを百頭近く集め、全部自分の犬舎に収容して置くのであるから、一寸普通人には真似は出來ない。富豪原氏にして初めて成し得られるのである。
同氏の犬舎の代表的のものゝ外観を述べると、小型であること、一枚毛の緋赤であること、尾巻きのよい事、顔は丸味を帯びて居ることなぞであらう。故に愛玩犬としてはよく出來たものである。
筆者は今春同氏と會見して下伊那郡方面の柴犬の出來を聞いた所、同地方と三河の豊橋市方面とは船楫の便があり、柴犬も互に血液を混交して居たので、同じ長野縣でも下伊那郡以北の犬とは型が違ふと言はれた。
成る程、筆者が以前見た木曽地方の柴犬よりは現代化したもので、斯の如き優秀な物を世に出したらよさ相なものであるが、同氏は自分の犬舎のものは一足も他へ出さぬ主義とかで、未だ同氏作出の柴犬は殆んど都會に行つて居らんとの事で、惜しいものと思つた。
然し犬は澤山飼ふと色々故障が起るもので、テンパーなどに這入られると、仔犬が枕を並べて倒れるので、他の希望に應ずる事が出來ないのかも知れぬ。
一二頭の犬を飼つて置くと健康であるが、数が多いと思ふ様にならんものである。
高久兵四郎「日本犬観察」より 昭和12年