父にはじめて犬を飼つてもらつたのは、わたくしが三、四歳のころのことであつた。
黒の小ひさな犬であり、耳が立つて、尾が上に巻いてゐた。遠い昔のことであるから、まだ洋犬といふものはなく、純日本犬であつたと思ふ。
小ひさな犬であつたが、ひどく気が強く、よく人に吠えついたので、近所の人にわるいといつて、父が遠い田舎の人にゆづゝてしまつた。
子供心にもさびしかつた。
これは大きくなつてから飼つた犬であるがエスと名付けた。
気のやさしいセツタア種であつたが、近所で鼠捕りのビスケツトを食べたらしく俄かに死んでしまつたが、庭から急に座敷に上つて來て、わたくしの膝にもたれたまゝ死んで行つた。
星の美しい、寒い夜であつた。
本郷駒込の榮松院の墓地に葬つてもらつた。三十四五年も前のことであるが、今でもはつきりエスの姿は記憶してゐる。
その次に飼つた犬は雑種の大きな犬であつた。
生後六十日くらゐで貰つて來たが、四つ目の可愛い犬であつた。成長するにつれてとても強くなり、近所の犬を慴伏してしまつた。
わたくしが「タゴールの哲學と文芸」といふ著述をつゞけていたころだつたので、ゴールと名付けてやつた。
止むを得ない事情があつて、ゴールとも別れなければならぬ日が來た。色々貰ひ手を物色してゐる間に日暮里あたりの活動館の主で犬を可愛がつてくれる人があり、その人に貰つていたゞくことにした。
ゴールと別れてから二年ばかり経つたころのことであつた。
或る日小石川傳通院あたりの高木といふ髪結さんの家に出かけて行つた妻が、俥で帰つて來たと思ふと玄関で泣いてゐた。
「何うしたの?」と訊ねたら、妻は湯島の切通でゴールに逢つたといふことであつた。
「あたしが切通の坂を下つて行くと、突然大きな犬が俥の上のあたし目がけて飛びついて來るではありませんか。そして何うしても離れないのです。
ゴールだったのです。映畫館の主さんにつれられて散歩に出かけてゐるところだつたのです」と妻はハンカチーフで眼を拭いてゐた。
その後わたくしたちはゴールのためにおみやげを購めて、活動写真館に訪ねて行つたが、すでに写真館の持主はかはつてゐて、ゴールに逢ふことはできなかつた。
「犬とともに」より 昭和19年