昭和60年に廃村が決まり、奥三面ダムの底に消えた新潟県の三面集落。
「越後の村上城主が釣りに出かけた際、三面川上流から蝶の定紋付香箱が流れてきた」という、遠野物語のマヨヒガみたいな経緯で発覚した、平家落人の隠れ里でもあったそうです。
三面集落では昭和期まで焼き畑農業や狩猟採集生活が続いており、和犬も残存していたとのこと。
ぜんまいの採取期になると、各自拂下げを受けに山に小舎を作り、一族悉くがそこに泊り込んで採取し乾燥し、仕事が終らなければ家に帰つて來ない。
一里も二里も離れた山に行くのだから、無論往復の時間と労力を省くための手段であらうが、老人や子供は勿論、猫や犬までも連れ、しかも三四時間もの長い間、深山の小舎に住んで働くといふのは、一寸変つた風習である。
私の行つた頃は丁度ぜんまいの採取期であつたため、比較的近いところにあるその小舎を見る機會を得たが、三坪位の小舎が二つに仕切つてあうて、一方にぜんまいを積んであり、残り半分には藁を敷いて、そこをみおんなの居間兼食堂兼寝室に當てゝ居つた。
いかに平家の末流と雖も、こんな深山に數百年もかくれ住んでゐるうちには、自然かうした原始的な生活に馴れて來たものであらう。
恐らく彼らの祖先がこの様を見たら、眼を廻して驚くに違いない。
熊狩りの猟装
最も昔の名残を止めてゐるのは、現在この村に七個だけ残されてゐるといふ石風呂である。大きな岩をくり抜いて作つたもので、面はまるでざら〃ではあるが、ともかく辛うじて圓形にくられてある。
静かにこの風呂に浸つてゐると、彼らの祖先の生活が、絵のやうにはつきりと眼の前に浮び上つて來る。
とちの木をくり抜いて作つた獨木舟もまた、珍しいものゝ一つであらう。長さは約三間位、まるで南洋に使はれるカノーそつくりである。
昔からこれを、渡舟及魚漁に用ひた。今でも三隻程この舟があつて、必要に應じて渡舟となし、また岩魚や鱒や鮎などをとるために使はれる。奇岩と激流の間を巧みに操りながら、それらの魚を捕つてゐるところは、一寸現代離れのした美しい風景である。
岩舟郡三面川の高橋源蔵氏愛犬
それから山に於ける狩猟の風習。
この邊りには、未だに熊、青しゝ、猿などが多く、冬雪が來ると、村人は或は數人で隊を組み、或は単身、これらの獣をとりに山に出かける。
扮装と云へば、黒木綿の頭巾を冠り、白麻の野袴をはき、熊の皮の胴衣を着、腰には山刀、手には槍をもつて、さながら古武士然たるものがある。
連れて行く犬は精悍そのものゝやうな純粋の日本犬。この犬によつて穴から追ひ出した獣を、大抵手槍でもつて仕止めるさうだ。
すべて山に入れば、長老の命に絶對に服従しなければならぬ不文律があり、一糸も乱れぬ
統制がとられるといふ話。
そして面白いのは、狩場では日常の用語を全然改めて「賜れ」とか「にて候程に」とかいふ風な、全く昔ながらの平家語を使用することである。
これによつてせめて彼らは、平家の子孫であることにひそかな誇を感じ、同時に祖先の労苦を偲ぶよすがとしてゐるのであらう。
「平家の落人のすむ越後の仙境」より 昭和7年