(頭取)
主は今様の女三の宮か、何某かのお部屋様。グツと砕けて橋場邊りの寮と云ふ所です。振袖に立やの字、稚子輪に挟帯などの艶な姿がチラホラ見えて、折節は三曲の合奏が仄かに洩れて來やうと云ふので、此の狆は木綿物の外に、今一つ男たいしたものを見ると、必ず吠え附く癖が御座りまする。風情の有る、上品な狂句としては誠に大人しい句と思ひまする。
(呉服屋の手代)
頭取様のお辞で御座りますが、男たいしたものに皆が皆吠え附くとも限りませんで。へい、手前なぞには誠に能く懐いて居りますよ。此頃も竹庵様には今以て吠え付くけれど、お前は役者のやうに優しいものだから、顔さへ見ると尻尾を掉つてニコ〃為るつて、腰元衆が然う仰せられましてね。へゝゝゝ、誠にはやお氣の毒様で。
(いさみ)
此の野郎、媟(ふざ)けるな!手前の面が厭に生白い所へ、テラ〃と安蟲(やすい)白蝋を引いたやうに膩切つて光るもんだから、豚の脂肉と間違へて尻尾を振るんだ。へ、可愛い業曝しぢやねえか。
(道學先生)
あゝ、衣食を悪うして美を黻冕(ふつべん)に致し、宮室を卑しうして力を溝洫に盡す。禹は吾れ間然すること無し(※論語です)―と孔子も仰せられた。聖賢の道地に落ちたる今日、是は閨閤の奢侈を悪んだ句で、士太夫の須く鑑る事ぢやて。
(政事家)
宜しく絹布税を實行すべしさ。
(差出)
次手に蓄妾税も可うがせう。
(収税吏)
其れには、チヤンと最(も)う一圓の租税が附いて居ますです。
(きいた風)
はゝ、取んだチクシヤウ違ひだ。附いて居ない証拠には、それ、狆一圓(ちんワン)妾無い〃と云ふぢやねえか。ちよ!めかけた山だ、思ふ様取立てゝやる事ス。
(へげたれ)
もし、其方の呉服屋のお手代衆に伺ひますが、お前さんは其の御本尊を拝みなさいましたかね。えゝ新造ですかい?それとも年増?
(差出)
内緒で誨(おし)へやうか。其れは何うも吃驚為るやうな……。
(へげたれ)
美しいので?
(差出)
うんにや、穢しい婆だとさ。
(きいた風)
何有(なあ)に、婆なものか。先づ四十見當の小厭らしい後家だ。ね、猫を畜はずに狆と云ふ所が、それ……。
(頭取)
問題外に渡りますから、次の句に移ります。
小栗風葉「評釋 家内喜多留」より 明治36年