上海デニスチェン・ケンネルの主人。
「時局以來(※満州事変~第一次上海事変)兵頭獣医も小生も、デニーケネルへは出入りして居ません。程胎譯氏(デニス・チエン氏)は、親日家であるけれども、小生等日本人との交際は必然彼氏が抗日會の壓迫を招くから、氏の安全を考慮したからなのです。
デニス・チエン氏は、今年二十七歳のスポーツ好きの青年で、先代は廣東出身の大財閥でありますが、氏の代となつてからは惣ての公私の職につかず、専らシエパード界の發達に専心して居ます。
デニス・チエン氏は恰度二十三歳の當時、従者六名を連れて日本に遊んだ事がありました。目的は単なる漫遊であつたが、頃しも日本は櫻咲く春で、上海に於て人さらひ團の脅迫のため、一歩も外出し得ない氏は、美しく、然も安全な日本遊覧の一ヶ月半を衷心から喜び、且つ非常な好印象を彼氏に與へました。
以來同氏は大の親日家と成り、日本シエパード界發達のためには蔭ながら盡力したいと、その抱負を語つた事があります。チエン氏は日本視察から帰滬後、直に江湾にダブル・ケネルを創立し、更に世界の名犬を購入に取りかゝり、欧米各地を視察して、幾多の名犬を購入した事は周知の事であります。
同氏の犬舎の近況は、昨年秋よりデニー・ケネルを擴張して、更に名犬を陸續と輸入して居りますから、同犬舎今後のブリードには見るべきものでありませう。
私は平和回復の機會が一日も早く來たつて、邦人愛犬家諸氏と、親日家であり且つ斯界の大立物たる、デニス・チエン氏が握手される秋の來るを切望する次第であります」
デニスチェン述「中華徳國牧羊犬會々報より」 昭和7年
中華徳國牧羊犬會員 在上海 奥野直義譯
名犬を揃えたデニスケンネルは日本のシェパード愛好家にとっても憧れの的でしたが、実際に訪れた蒋介石党軍伝令犬部隊の黄瀛氏(日本では詩人として知られた人物です)は、犬たちの状態を見て憤慨していました。
何で中国軍の将校が日本語でイヌの話なんか書いているのかといいますと、彼の母は日本人ですし、黄瀛さん自身も日本に留学し、日本陸軍士官学校で学び、日本シェパード倶楽部メンバーでもあったからです。
デニスケンネル
デニスケンネルヘ行きました。
上海へ
僕と軍犬班の班長と副官と。
僕はデニスケンネルに長いことあくがれてましたが、行つて驚いたことは恐しくブルヂユア精神のみち〃したことだつた。
僕はよい犬が何十頭ゐたところであんな飼い方をよしとしない。
程貽澤君も上海では有名なスポーツ愛好家ときいてたが何故犬にトレニングさせないのか?
市街のまん中に設備の限りをつくした温室的な犬舎
わけのわからない管理者のわけのわからぬ犬の招待
僕は近代名犬の父母となる犬の肥肉を嘆じかへつた。
それに貽澤君よ
二度もはる〃約束をして行つたのに
顔を見せないのは少しくいけなくはないか
僕らはギヤングに非らず
僕らは少しは語らうと思つて行つたのだ
それに不愉快な面を二つ三つ出して
展覧會の絵の案内見たいな御招待は實にイヤだ。
〇
デニスケンネルの犬は幸福過ぎる
そして僕の皮肉で云ふならば、ふとつた犬は概して小胆だ!
犬を解放してトレニングに参加させるべし
まはりのとりまき連中をはらふべき
君のケンネルの建て増しは犬をソクバクする
わけのわからない連中に君もかこまれるべからず
犬とても君同様だ!
〇
デニス・チエン・クン
君と君のいゝ犬達のために
また語る機會のくるまで
敬祝健康
黄瀛「Y・H雑談」より 昭和7年
デニスケンネルの犬は何頭かが日本に輸入されたものの、その程度の関係に終始します。
昭和12年、第二次上海事変に向けて日中関係が険悪になると、デニス・チェン氏は抗日活動に身を投じます。デニスケンネルは放棄状態となり、犬を救おうとした日本シェパード犬協会関係者の盡力空しく、その末路ははっきりしません。