生年月日 不明
犬種 シェパード
性別 たぶん牡
地域 神奈川縣
飼主 久保善吉氏
同僚の召集を祝つての二人、それが近衛聯隊と聞いていつそう嬉しくなり、二次會へまで繰込んだ挙句が羽目を外した天罰覿面、頭もあがらぬ悪酔に、でも我慢強ふ出社しての晝どき。
「ねえ、ねえ、箸はとれるか、君」
「うんにや、駄目だ。今朝から胃の腑は一物も受けつけてくれねえ。産に懲りた女は無いと謂ふが、もう酒だけは俺は呑まねえ。君のダツトサンで送られたまでは想像できるが、それからが薩張りよ」
「でも君は車の中ではしつかりしてたぞ。行過ぎたからバツクだ、バツクだと怒鳴つてさ。宅の前へ引返すとのこのこと降りかけたもんだ」
「それがさ、宅へ帰つたとなるともう、前後不覚さ」
「僕もよ、車を乗り捨てて玄関の関を跨ぐが最後、げろげろさ。明けがた醒めてみると驚いたね。五郎の蒲團をひつぺがして枕にしてさ、玄関の和土の上で御寝なつてたよ。女房の奴も不人情だあね。朝になつて聞いてみると、今に起きてくるだらうとおつぽかして置いたとさ」
犬こそ迷惑、蒲團と寝場所を主人に奪れて文句も云へず、一晩中さぞ恨めしかつたことだらうに。
「なあ、おい聞けよ、××の奴これこれだとよ」
―見るも嫌だと云つた杯をあげて、性懲りもない亭主へ
「どちこちもないわ、あんたもよ」
「おれがどうかしたのかい」
「知らないの、ぺーよぺーよつて、ぺーを寝床へ引張り込んでさ」
「あれ、ぺーをかい。俺が。で、ぺーはどうしたい」
酔ふと、寒中でも裸になつて寝巻は忘れて寝床へ潜りこむ癖の亭主。ここでも一晩中、犬に顔を舐められどうしたといふ話。
親譲りの背嚢をつけさせて街に出た女房へ、青物屋の亭主、犬と女房を等分に見る。
「この犬は軍用犬といふのですか」と訊く。
女房「はい、さうです」と云へば、「旦那も戰地へ行つたんですか」と云ふ。
「いいえ」と云ひかけて、不圖氣付いたのは主人の松葉杖だつたが、主人は歩行が困難ですとも説ひかねて淀んでゐると、「犬にも召集がきたんですか」と訝かしさうな顔なので、こんどはこちらが「どうしてなんですの」と訊きかへせば、「でも、赤十字の印をつけてるぢやありませんか」。
これには女房二の句がつげなかつたといふ。背嚢に着けた赤十字の印は、まさか戯れごととも云へず「これから海軍病院へ、お見舞に行くところですの」
即座の機転、でも恥かしかつたわ、と女房の實話(昭和十四年五月二十三日夜の稿)。
久保善吉『横須賀だより』より
なんだか平然と飲酒運転をされていますね。
当時は車の所有者も少ないし、飲酒運転も可だったのか?というとそうではなく、昭和8年に改正された自動車取締令第六十二條で「運轉者ハ酒氣ヲ帶ビテ自動車ヲ運轉シ又ハ運轉中喫煙スベカラズ」と規定されております。