生年月日 不明
犬種 シェパード
性別 不明
地域 栃木縣
飼主 不明
戦時中の牧羊犬と言えば、栃木縣種畜場のポン公(コリー)が日本牧羊犬界に名を響かせておりました。同時期の栃木牧羊界では、何頭かのシェパードも雇用されています。
山奥の百姓が新馬を曳くに當り、眼隠をして歩みを教へ後へ後へを教へて、前を促すと言ふことは、何れにしても馬と相談づくで臨機應變の處置を講ずるわけなのである。世界の何處に數千金を投じて犬に羊を追はせるのみに犬を買ふものがあるか……。先づ無い、同感である。
犬を多數の金で買ふよりも、羊を買ふと言ふのが牧畜家の常識通例である。……○地では羊も犬をも買はないことが通例であるが、買つたとしても他の條件に支配されての牧羊家なのである。
羊を追はす犬を真に必要とするだけの牧場が何處に何箇所あるか……。緬羊を飼ふ牧場が、北海道から南九州迄で凡そ三十個所を下らないが、犬を必要としない牧場が多い。コリーやケルピーで充分間に合ふ……。
大きな芝園の庭に遊ばす羊には間に合ふと言へ得る。然しこの種の犬等飼ふ牧人は稀なのである。一寸犬党には歯痒い限りである。
以上の理由とするところは
1.即ち牧羊場の経営者は殆んど○有であるから、大姑小姑が餘りに多く、個人としての犬を飼養することさへも許されない場合が多い。
2.内地に緬羊が入つて未だ日が浅く、之を飼養に當るに忙しく、努力が未だ犬迄及ばないと見らるることが多い。
3.護羊犬の味を知る牧場が少ないこと。
4.農林省の種羊場が従來ともコリーやケルピーを採用し、現に使役しつつあること。
5.所謂牧場犬なるものの宣傳が足らざるか、又其の効を奏せざるかと思はること等々。
然し斯く言ふ自分が何故にS犬を賞するかと言ふに……、例を北海道月寒緬羊場に採るならば、此の牧場を参観に來る客人に對し護羊犬の活動状態を観せらるる場合には、緩傾斜の牧草地帯に緬羊を放牧して、コリー、ケルピーに追はすのであるから、過去二十有餘年間の萬以上の來客は其の作業を看て牧羊犬と言ふことを頷かれた事と思ふ。
が、牧場の真の役者たる一千頭の大群をば牧場の西南裏、即ち概山の羊舎から山を越して六粁、小川の流るる大澤へ春夏秋迄放牧に行くのを日課とし、この放牧状況を知らなくては放牧即ち牧羊犬の作業の意味を知らないと言ひたいのである。
大澤とは四方山に囲まれ三百町歩餘りあり、山草丈深く、白樺點在して水の流るる音より聞えない無夢境である。
1.体が小さい爲に草の下になつて犬の行動殆んど出來ない事。
2.毛色が草の色に打負かされ犬の個所の判然を缺くこと。
3.体力弱き爲、疲労早きこと。
4.牝犬は腹部を、牡犬は睾丸の毛を擦り切らし傷付く爲に二日と續けて使役に堪えぬ事。
5.氣力弱き爲に遠くへ行動出來ぬこと。
6.歯が弱き爲緬羊に巻き付きたる葛蔓を噛取れぬこと等々。
何一つとしてこの様な放牧地に適當すると言ふ條件が有り得ない爲め、この種は不適當と言へ得る。
それなのにこの放牧地に適する牧羊犬とは、大正二年米國から入つた牡犬で、体重三五瓩ばかり、毛色は總黒と言ひたい程のブラツクタン。其の氣力の強きこと驚くばかりの犬である。
コリーやケルピーが五、六頭行つて盛に追立てるけれど逃げ様としない牛の一群も、このパピー號ならば立派に牛の方から退散するのである。羊の方でも絶体涙ぐましい程この犬をば信頼して服従するは勿論、牧場犬として餘りにも精錬され牧場のものさへ一目置いて敬意を表して居つたのである。
戸締りの番からウオツチドツグ(夜時計が報ずる度に建物の周囲を二、三回吠へ乍ら廻るので、吾々は斯く名付けた)の勤めから又病死の羊があれば半日でも其の側を離れず、他の牧夫が近づくとと唸りを發し近づけず、獣医のものが解剖を終る迄待つと言ふ具合。又月一回位彼自身千六百町歩の牧場の境界線を巡視して來る。何作業でも落付掛つて動作するのである。
此の素晴らしい牧羊犬こそ、今日の獨逸シエパード犬であつたのである。幸ひ去る十年からJSV理事諸氏の多大なる御厚意に依りS犬の牧場に於ける準備を進めつつあると言ふ事實を以て、S犬牧場悲観論説の解消を祈り、併せて御指導を仰がんとするものである。
牧羊生『毒舌漫談氏に應ふ』より 昭和13年
この栃木の牧羊犬、ずっと北海道のパピーのことだと勘違いしてたんですよね。
釣谷
護羊犬は最初から使っていたものだろうか。
山本(吾)
ほんとの最初からではなかったですナ、沢山来たのは例の百万頭計画(※大正7年にスタートした緬羊増産計画)で緬羊が沢山入ってからです。
蓑田
北条種羊場では、緬羊と同時に入ったんですが、当時はコリーでなくてケルピーだったですね。
千葉
大正9年に英国の犬の共進会で2等賞をとったという、スコッチコリーの「ターク」という名の護羊犬が入り、それからコリーが使われるようになったのだと思います。
護羊犬で思い出されるのは、岩波さんが米国から入れられ、山本さんが使っていた名犬「パピー」で、これはよく働いたネ。
山本
そうそう、牡でしたが、あれはよく追ったもんです。例えば2群の緬羊を同時に番をさせても、決して両方を一しょにまぜる様なことはありませんでした。
小林
私の使った犬では、豪州から入った「ケリー」というのがいましたが、これはよく云うことを聞き分けて面白い様によくやりましたネ。
今の月寒では昔の様な護羊犬の使い方は残念ながら出来ませんよ。
釣谷
昔は宮様とか名士の方が来られると必ず緬羊を放牧して犬を使ってお目にかけるもんですがね。
北海道緬羊協会『北海道緬羊史』より 昭和29年