私は犬が有用であると、思ひます。
夜もねむらずに、ぬす人の番を、しますし、又使をも、します。
主人の仇を打つて、人もおよばない、忠義をした犬も、あるさうです。
猫はこうゆうことは、できません。
冬になると、寒いから、ふとんのすみに、ちゞかんでゐます。
昔ばなしにある通り、花咲ぢゞは犬のおかげで、とのさまからほうびをもらつたのである。
犬は、三日かへば、三年の恩を、わすれんと云ふが、猫は三年かつても、三日の恩を、しらんと云ふことわざがある。
長崎市元馬込
小林延吉 九歳三箇月
自作證明者 銭座小学校三学年一学級担任訓導 渡邊
評
坊ちやん方に褒められて犬も定めしよろこんで居るでせう。
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明治43年の「犬と猫とは何れが有用か」より、第十四ラウンド。
小林君は犬派の鏡です。ネコに関しては、ネズミ捕りの功績すら評価していません。挙句、寒がりだという理由だけで役立たず扱いする清々しさ。現代の犬派には、こういう毅然とした態度が欠けているのではないでしょうか。
明治後期の長崎では、犬への恐怖も忘れ去られていたのでしょう。
明治26年から3年に亘って狂犬病が大流行し、多数の犠牲者を出した長崎県。感染拡大阻止のために地域の犬が殲滅され、日本初のパスツール式豫防注射実施といった強行策(ほぼぶっつけ本番)がとられるなど、県を挙げての取り組みがなされました。
その惨禍が長崎の人々にどのような影響を与えたのだろう?と気懸かりだったのですが、尾を引いたりはしなかった様ですね。
このような要らぬ心配をしてしまうほど、当時の日本人にとって狂犬病は恐ろしかったのです。
「日本人と犬との関係」にとって、狂犬病撲滅成功は大きな意義がありました。
そんなコトより長崎という場所ならではのお話を聞きたかったのですが、小学生にそれを期待するのが無理ですか。残念だけど。
第十五ラウンドへ続きます。
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明治犬猫論争☆第十四ラウンド
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