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昔の話だが、ユニバーサル映畫に、よくリンチンチンと云ふ犬が出て活躍した。映畫に出て來る犬は昔も今も大抵立派な犬で、私は非常に好きなのであるが、リンチンチンと云ふ犬のことは今でもよく覚えてゐて、なつかしい。ユニバーサル映畫はまだほんの少女の頃見たので、題名も何も憶えてゐないが、私のまはりの人たち、つまり若い従兄や従姉などが、いつもリンチンチンのこと許り云ふので、小さな私も、とう〃リンチンチンが好きでたまらなくなつた。凛としたしやれた姿で、精悍な貴族のやうな思ひ上つた顔をして、名演技を見せ、こまかな藝の味は、下手な俳優よりも人々の心と眼を惹いたものであつた。長くユニバーサルにゐて、ずつと後病死を報じられた時、私や従兄たちは、がつかりしてベソをかいたものである。
ついこの間、リンチンチンの何代目かの名犬(※初代リンティ以降、役名は代々の俳優犬に受け継がれていました)が出ると云ふので、惹かされて見に行つた映畫があつて、なるほどよく似て演技も素晴らしかつたが、私は何故かいたづらに昔のリンチンチンを思ひ出す許りであつた。古いものはなつかしいのであらう。
やはり題名を失念したが、ジヤツキー・クーガン(※チャップリンの「キッド」の子役)の主役の映畫で、殆ど子供と犬との愛情の世界を主題にしたものを、以前見て感心した。感心したと云ふのは、ジヤツキー・クーガンとその犬との切ないまでにせまつて來る、愛の描寫のうまさ許りではなかつた。
犬と云ふものゝ素直さ、純情さに、人間の魂よりも美しいものを、まざ〃と感じたからだつた。演技の巧妙さよりも、犬の持つて生れたところの本當のもの、人間の愛に飽くまで深い殉情を見せる、その本來の姿に感服を禁じ得なかつた。映畫では犬も亦俳優的で、監督に教へられ、半ば強ひられて様々に動いてゐるのだけれども、愛すべき生來の眞實なものは、ひらめき出て、遺憾なく人の心を打つものなのである。
犬の純情を私は映畫で許り知つたのでは、むろんない。長い生活の記憶の中に、片々とほのかに、心強く、犬の思ひ出が喰ひ込んでゐる。
四つ位の時、獣醫をしてゐる村の従兄の家に芝犬(原文ママ)がゐて、それが可愛ゆくてたまらず、時々借りて來て仲よく遊んだが、どんなにしても夕方になると歸つてしまふので、とてもそれが悲しかつた。
明くる日になると又母に借りて來て貰つたが、よほど御機嫌をとつてゐるつもりでも、じき歸つてしまふのではら〃した。しまひに四つの私には小さい野良犬が與へられた。この犬は死ぬまで私の家にゐた。
「女の一生」のジヤンヌの子、ポールもプールと片ことで呼ばれた幼い日、鎖でつながれた犬小屋のマサクルを一日中抱いてゐたいと駄々をこね、不断の友達となつて、敷物の上に一緒に眠つたり、二人でのた打ち廻つたり、果ては小さい貴族の方から出かけて、犬小屋の友達の寝床に仲よく眠つたりする。成長してあんなに母のジヤンヌに反いた不良青年も、幼い日は蚤に苦しめられ乍ら、犬とベツドを共にした。微笑えましい。
ある頃私はブルドツグが好きになつた。鈍重で、愚直で主人の顔も早くは覚え込まないやうなその犬の性質が、却つて氣楽で面白く思へたからだつた。
ところがこの犬は、失禮ながらその時の大臣濱口雄幸さんに、そつくりの顔をしてゐた。私は濱口さんも好きであつたところから、私のブルドツグにハマと名づけた。
それに妙なことがあるもので、ハマはしまひに、私の家から、ある政治家の許にゆくことになつたのだが、その人と云ふのが濱口さんと時を同じくした、ある大臣の息子さんであつた。間接に交渉されてそう云ふ結果になつたのだけれども、ハマと云ふ名の由來も思ひ合されて、これは微苦笑ものであつた。
ハマは私の許に二年位おいた。非常に毛が美しくて、優秀だつたが、あまりに優れた犬だつたゝめに、私では養ひがたくなつたやうなもので、これも皮肉である。
ハマはよく床の下へもぐり込んだ。ほり炬燵の眞下へ行つて寝そべるためにそうするのらしかつた。私はよく腹這ひになつてハマの床の下へ追跡し、抱いて出て來ては、リゾールの風呂を立てゝ洗つたものだつた。ハマは時々私を床の下へもぐり込ませたが、私の生涯中床下への這ひ込みは、ハマのためにしたその頃だけで、あとにも先にもないことである。
よくお腹をこはしては、私に小豆を煮させたり、ニラをきざませたりした。一度は性の悪い野犬狩りの男に、おめ〃連れてゆかれ、私は十町も息せき切つてその男を追ひかけお金をやつて連れ戻したこともあつた。
ネロはハマのあとに來た雑種で、散歩の途上、警察に集められた野良犬の中から貰つて來たのだつた。そんな不幸な犬だつたので、弱氣にならないで、暴君ネロに似て御覧と、私はその名をつけて、得意がつた。ネロもハマにまけない位世話を焼かせ、魚屋へ約束しておいて貰つて來る、瀬戸内海の新鮮な魚のあらを、バケツ一杯ペロリと平げて、私の顔をじつと見詰めたりした。善良可憐で、今でもその顔を忘れないが、ある事情で、その内ネロを急に手離さなくてはならなくなつた。人に貰つてくれと云へない氣持ちだつたし、ネロ自身も病んで許りゐたので、私は心を鬼にした。人に頼んで練兵場を横切つた向ふの山へ捨てに行つて貰つたのだ。
それを人に頼む時、私は恥かしくて、顔いろを赤くした。捨てに行つてもらふと云ふことに良心をとがめられ、せめて病氣をよくしてやつてからと思つたが、その暇がなく、最後の夕食に御馳走をしてやり、體を洗つてやり、薬ものませて出したのだつた。捨てに行つた人の報告を訊くのが怖ろしかつたので、私は早く寝床へ入つてしまつたが、中々眠れなかつた。
人間のことでも、わかれた人々のことは、そのよかつた記憶許りがなつかしまれるものだが、犬の場合も、可憐な故に、純眞な故に、こちらの心をとらへた場景や仕科など許りが思ひ出されて、中々忘れ去ることはむづかしい。ネロを捨てた氣持はとても悪かつた。眼を極り悪げにしばたゝく時の、まつ毛の様子までが思ひ出され、明くる日起きても、生活の眞ん中にぽかりとふくろびが出來たやうな氣がした。
ところが家族の者とだまり勝ちに朝食を食べてゐる時だつた。表の格子戸に石でも投げつけられたかと思ふやうな、どかんと云ふ大きな物音がした。瞬間土間に、ちらと白いものがひらめいた。次には裏庭の葵の花を踏みにじるやうにして、矢のやうに飛び込んで來たものがあつた。
ネロであつた。ネロが火の玉見たいに、らん〃と眼を光らせ、戻つて來たのだつた。
ネロは濡れ椽に両脚をかけて、はげしく尾を振り、荒々しい呼吸をしながら、じつと私を見た。「只今立ち戻つて候」とでも云ふやうな、何の恨みを見せない、却つてユーモラスな表情で、ネロは少し首をかしげ、いつまでも私を見た。
私の胸は震えるのだつた。ネロへの哀感でもあり、又犬に教へられた限りない信頼と愛情の姿のためにふるへるのだつた。ネロは私を信じ切つてゐた。信じると云ふことも一つの絶對であり、大きな力なのだ。
私はその後ネロのために、一年間無駄な時間を送り、故郷を去る日が、それだけ遅れたが、後悔は少しもなかつた。翌年の秋ネロが亡くなつて、一ヶ月目に私は東京へ來た。東京へ來てからは一度もまだ犬を飼はないで、それを寂しく思つてゐる。
『犬も私に愛情を教へた』より 昭和12年