京都府布令書明治八年九月番外第三十二號より
往昔流行せしことは既に述べたり。明治維新以後に於ては其の流行なく、大正三年二月府下南桑田郡に一名の恐水病患者を出せるを本症流行の端緒とし、天田郡、船井郡、乙訓郡、京都市内に散發し、次で葛野、紀伊、愛宕、宇治諸郡に散蔓し、同年中十二頭の病犬を出し、翌年四年に入りては一層病勢を逞うし全く流行の状態を呈し遂に全府下一市十二郡に亘り遂に百三十五頭の病獣を生ぜしむるに至り、其の勢全く底止する所なきの観を呈せるを以て府當局者は極力其の豫防 制遏法に盡瘁し漸くにして其の勢を阻め、大正五年には十四頭、大正六年には二頭、大正七年には六頭、大正八年には五頭を散發せしめ、一時猖獗を極めし流行状態を脱するを得たり。
農商務省農務局 大正10年