岡山県の狂犬病史
岡山縣に於ける狂犬病は著しく流行性を呈せることなきも、古くより時々散發し居るの狀況にして、明治三十一、二年各一頭、同三十六、七、八年には計二十三頭、更に大正元年には多少流行の兆を呈し十九頭の病畜を出し、爾來今日に至るまで點々發生し居り、全く終熄に至らざるの狀況にあり。農商務省農務局 大正10年
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廣島縣に於ける第一次流行は明治三十五、六、七年に亘り縣下各所に蔓延流行せるを初めとす。爾來終熄の狀なりしも、大正七年三月高田郡、吉田町、郷野村に各一頭を初發し、爾來各地に散發し、人畜の咬傷を受けたるもの尠なからず。翌八年に入りて多少減退の傾あるも、依然として尚流行性を呈しつゝあり。これを第二次流行となす。農商務省農務局 大正10年
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熊本縣に於ける狂犬病の第一次流行は、明治三十三、四年前後にして當時百餘頭の病畜を出せり。降て第二次流行は大正元年乃至大正六年に至る流行にして、大正元年六月鹿本郡山鹿町に初發せる以來一市八郡に傳播するに至り、其罹病總數六十五頭に達し、人畜の傷害を受くるもの尠なからざりしも、大正四年來漸次減退に傾き、大正六年十月に入り全く終熄するに至れり。農商務省農務局 大正10年
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宮崎縣に於ける最初の發生は明治三十三、四年にして、當時十八頭の病畜を出したるも止まり、大流行を見るに至らざりしも、大正元年十二月、西臼杵郡(※原文の誤植を修正)三田井に一頭の初發せるを基源とし、更に東臼杵郡(※原文の誤植を修正)に蔓延し、大正三年には一層其勢を逞うし、縣下各所に發し、其罹病頭數百八十八頭に達し、惨害尠なからず。大正六年に入りて漸く減退するに至れり。農商務省農務局 大正6年
View Article戦前の甲府シェパード界・その1 昭和8年
ポチは足も短く、若年でありながら、喧嘩は相当強いようである。空地の犬の巣に踏みこんで、一時に五匹の犬を相手に戦ったときはさすがに危く見えたが、それでも巧みに身をかわして難を避けた。非常な自信をもって、どんな犬にでも飛びかかってゆく。たまには勢負けして、吠えながらじりじり退却することもある。声が悲鳴に近くなり、真黒い顔が蒼黒...
View Article戦前の甲府シェパード界・その2 ピッコリヤ編
飯野一雄氏による甲府シェパード界の紹介記事に対し、日本シェパード倶楽部理事一行は甲府を訪問しました。東京では、荒木貞夫陸軍大臣の画策による帝国軍用犬協会と日本シェパード犬倶楽部の合併交渉真っ只中。よって、この甲府視察も日帰り強行軍となってしまいます(状況が把握できない地方支部会員には何が何やら、寝耳に水の合併騒動でしたが)。 相馬理事とレオ號...
View Article戦前の甲府シェパード界・その3 エミーの仔編
文中の「甲府で有名な小林氏」って、新狼犬(甲斐犬とオオカミの交配犬)作出計画に携わった甲府動物園の小林承吉氏でしょうか? ◆...
View Article日本軍犬史解説の転換点・寺田近雄氏のレポート 1974年
帝国陸海軍 17 〈軍用犬=主として満洲事変〉(Gun誌連載記事)寺田近雄著1974年 哀れ軍犬は満洲の地に ―『満洲軍犬』とその時代(彷書月刊掲載記事)原山煌著2008年...
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