ポチは足も短く、若年でありながら、喧嘩は相当強いようである。空地の犬の巣に踏みこんで、一時に五匹の犬を相手に戦ったときはさすがに危く見えたが、それでも巧みに身をかわして難を避けた。
非常な自信をもって、どんな犬にでも飛びかかってゆく。たまには勢負けして、吠えながらじりじり退却することもある。声が悲鳴に近くなり、真黒い顔が蒼黒 くなってくる。
いちど小牛のようなシェパアドに飛びかかっていって、あのときは、私が蒼くなった。はたして、ひとたまりもなかった。前足でころころポチを おもちゃにして、本気につきあってくれなかったのでポチも命が助かった。
犬は、いちどあんなひどいめに逢うと、大へん意気地がなくなるものらしい。ポチは、それからは眼に見えて、喧嘩を避けるようになった。
それに私は、喧嘩を好まず、否、好まぬどころではない、往来で野獣の組打ちを放置し許容しているな どは、文明國の恥辱と信じているので、かの耳を聾せんばかりのけんけんごうごう、きゃんきゃんの犬の野蛮のわめき声には、殺してもなおあき足らない憤怒と憎悪を感じているのである。
太宰治『畜犬談』より
今回は、戦前の甲府シェパード界について取り上げます。甲府といえば甲斐犬ですが、シェパードも飼育されていました。
太宰さんが甲府へ転居したのは昭和13年ですから、それより5年も前の記録です。ポチを一蹴した「小牛のようなシェパード」も、この中の一頭だったのでしょうか。
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甲府のシエパード界の近況を皆様に御通知いたします。近況といつても、今まで甲府のシエパード界に関する情報がこの會報に載つたことがないのですから、その濫用から書かねばなりませんが。
東京から僅かに三時間半のへだたりしかない甲府だのに、わがシエパードに関する限り、案外遅れて了つたのは残念です。
私なんぞ七八年前から、もうシエパードが慾しくて堪らなかつたのですが、二百圓三百圓と聞いて手も出せず、残念がつてゐました。その當時は甲府には一頭もゐなかつたし一般の人はそんな犬の存在さへ知らないやうな風でした。
甲府へシエパードが初めて來たのは、一昨年の初めだつたと承知してゐます。A氏といふ大變に犬好きの方が神戸あたりから一匹買つて來たのと、私の友人のH君といふのが東京の犬屋から一頭連れて來たのとです。A氏はその仔犬に間もなく死なれ、その後また一頭大變な發育不良な仔犬を買ひましたがこれも間もなく死んで了ひました。
A氏とH君とより少し遅れたでせうか、現在、甲府シエパード界の最古参で、また同時に熱心な飼育者の一人である所の本會員萩原幾太郎氏とF氏といふ新聞記者の方とが、いづれも神戸の田丸ケンネル(※田丸亭之助猟犬訓練所)から一頭づゝ甲府へ連れて來ました。
それからその年の櫻の咲く頃になつて、千葉の歩兵學校の教官から甲府聯隊附となつて來た渋谷中佐といふ方が歩兵學校出のシエパードを一頭連れて來ました。
そんなわけで、一昨年は大體H君と萩原氏と渋谷中佐との三頭のシエパードが甲府の町にゐたわけです。然しこの頃は、まだまだシエパードに對する批判、飼育、訓練の知識は甲府の人にはなかつたやうでした。
それが昨年になりまして、急に甲府にシエパード熱が勃興してまゐりまして、昨年内に甲府へ來た犬は十四五頭にもなりませうか。それが大部分テンパーに倒れて了つたんですから、何としても残念のことです。
それに昨年の三月のNSCの大會には萩原氏と私と他に、現在は飼つてはをりませんがその頃やはり相馬理事のレオの仔を飼つてをられた方と三人で上野にまゐりまして、いろ〃と中央の啓示をうけてシエパードに對する眼もだんだんと開けてまゐりましたので、相當優秀な犬が飼はれるやうになつて來たのですが、その優秀な犬が昨年の暮あたりどしどし倒れたのには實にがつかりしました。
會員土屋一郎氏並に萩原氏の飼育にかゝるバルド・フオン・アンデルテン對河野氏シラーの仔二頭、會員小林氏が中島理事より譲り受けた、カウント對グレタの仔などは殊に残念でした。
この三頭が一ヶ月の中に次ぎつぎに倒れたときは、ために甲府シエパード界は大変寂寥を覚えたものです。
甲府シエパード界のために特筆せねばならないことは、何といつても河野豊信氏の存在です。
昨年の二月、河野氏が勤務先の畜産試験場を辞して郷里甲府に愛犬シラー・フオン・コーベを連れて帰つて來てからといふもの、甲府シエパード界のシエパードに對する認識は、頓に啓けてまゐりました。訓練なきシエパードは零であるといふ河野氏の持論と、シラーの妙技の實際とは、大いに私共を啓發したものです。
現在甲府には市内に十四頭、郡部に八頭のシエパードがをります。もつともれこは私の所に四五日前生れたばかりの仔犬四匹を加へての話ですが、猶この外に甲府聯隊に三頭のシエパードがをりまして、将來軍犬班を大成する準備中ですが、これはまだ、その取扱兵達が餘り慣れてゐない爲か、現在の所大なる發展を見せてをらないらしいのは遺憾です。
この民間の二十二頭は十五人の愛犬家によつて飼はれてをるのですが、猶この外現在は飼育してはをられなくとも、昨年頃飼つてをられ、昨年その愛犬をテンパーに奪はれ将來再び飼はれる豫定で待機中といつた様な、シエパードフアン數人を加へまして、甲府シエパード倶楽部と云つた風なグループを作り、隔月位にメンバーの集りを催し、胸の裡に鬱積してゐる犬に関する數々の話柄をもち合つてお互に漫談快語し合つてをります。
この會合は私共甲府のグループにとつて何よりも楽しく、且つ有益なものです。将來は在京の理事各位にも来ていただいて、いろ〃と有益な御話を拝聴するやうになりたいものと思つて居ります。
甲府の犬は大部分まだ未成犬です。
従つてまだ作業犬としてのシエパードらしいシエパードはまことに寂しいのを遺憾としますが、然し、久邇宮殿下賜楯を拝受した、河野氏シラーの存在はいやが上にも甲府シエパード界を刺戟してをりますので、やがて中央の訓練競技會に於いて甲府の犬が精々氣を吐くの時もまゐりませう。
私はそれを信じ、祈り、かつ努力してをります。
以上で甲府の犬のことに就いては大體書いたやうです。
要するに甲府は昨年來急激にシエパード熱が勃興してまゐつたとは云へ、まだほんの序の部です。今年は犬の素質に於いても、訓練に於ても、一段と進捗することでせう。
大部長くなりましたからこの位で、いづれ今後は時々田舎者の氣焔を上げさしていただきたいと存じます。
日本シェパード倶楽部 飯野一雄『甲府より』 昭和8年
「将來は在京の理事各位にも來ていただいて」とありますが、帝国軍用犬協会との合併問題で大揺れの日本シェパード倶楽部理事たちが甲府を訪れたのはこの直後のことでした。
続きは次回。