兵庫縣に於ける狂犬病流行は明治三十七年乃至三十九年の第一次流行、大正元年乃至大正五年の第二次流行に分つを得。
第一次流行は明治三十七年九月、偶々神戸市内に恐水病患者一名、次で病犬一頭を出せるを端緒とし、相継で續々縣下に蔓延し、爾來三年間に二市九郡に渉りて病畜六十九頭、恐水病患者三十五名を鬼籍に上げしめ、豫防接種人員二千四百九十一名の多きに達し、未曽有の惨害を醸せり。幸に當時當局者の盡瘁の結果三十九年來終熄し第二次流行に至るまで静謐を持續せり。
第二次流行は大正元年十一月宍粟蔦澤村に恐水病患者一名を發せるを初とし、爾來漸次發生區域を擴大し流行の兆を現はし、大正二年には二十四頭、大正三年には九十八頭、大正四年には九十五頭の多きに達し、三市十四郡に亘りたるも後漸次其の勢を緩め、點々散發しつゝ現今に及べり。
農商務省農務局 大正10年
以降の状況は下記の通り。
兵庫縣では家畜傳染病十六條により狂犬病豫防の爲め當分左記地方より犬の移入を停止した。但し汽車電車船舶に搭載の儘通過するもの及び注射後一箇年以内の證明書を有するものは此限りではないと。
東京府、京都府、大阪府、神奈川、長崎、埼玉、群馬、栃木、奈良、愛知、宮城、福島、福井、石川、富山、島根、岡山、山口、和歌山、香川、愛媛、福岡、佐賀、鹿児島、三重、高知の三府二十三縣なりと。
大正13年
兵庫で放飼ひ許可
兵庫県では、神戸、西宮、伊丹、寶塚の四都市に對し昭和十三年から飼犬の繋留を規定していゐたが、最近狂犬病が其の跡を殆んど絶つたので十二月十五日から畜犬に對し飼主名と豫防注射(狂犬)済證を頸輪に付けて置けば放し飼を許すことになつた。
『犬界消息』より 昭和16年