文中の「甲府で有名な小林氏」って、新狼犬(甲斐犬とオオカミの交配犬)作出計画に携わった甲府動物園の小林承吉氏でしょうか?
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カローの父、カウント・フォン・黒狼荘。
https://ameblo.jp/wa500/entry-12410181289.html
先づ御訪ねしたのが近くの松浦氏の御宅。御家の方に索かれて現はれたのはスラツトした美犬。これはツと思つてよく見ると、仔犬時代から縁の深かつた、もと田島さんの愛犬カロー坊。富士五湖の主人公である。
中島理事ご自慢のカウントと新潟國井氏の愛犬との間に出來た仔。初めWSK(※早稲田大学シェパード研究会)に送られて上野驛に迎へに行つて以來、大きくなる迄殆んど毎日會つて居て、殊に昨夏は一緒にキヤンプまでした間柄なのだからと思つて挨拶をしに近寄つて行くと、唸り聲と共に危くパクリとやられさうになつた。
「俺だよ、もう忘れて了つたのか。そんなに不愛想にするなよ」と言葉が通じるのならば云つてやりたい所だつたが、嫌はれては致し方がない。遠くの方からもう一度見直して左様奈良を告げる。

こちらが父犬のフリッツ。昭和9年撮影。
https://ameblo.jp/wa500/entry-11964656113.html
次に車を停めたのが跡部氏の御宅。庭内より悠然と現はれたのを見ればこれも確かに見覚えのある犬。
其れも其の筈、WSK會長中島太郎先生のフリツツ・オブ・パナマを父に持ち、嘗てはWSK所属たりし名犬で、彼にして昔日を想ひ、今日の幸福を想ふならば充分に御主人に仕へなければならない所である。
三度目、車を止めた所は甲府で有名な小林氏の御宅。家屋と續いて建てられた裏の犬舎に案内される。過日東京の宮武氏とやらより購入されたと云ふシルバーグレーの牝犬、甲府一の名犬だとの事であつたが、横合ひから現はれた甲斐日本犬二頭に氣を奪はれて彼女の御氣嫌をも伺はずに御暇を告げた。
こちらが田島寸臺氏の愛犬エミー。
其の次が加藤氏の御宅。綺麗なブラツクターンの若犬。顔立が田島さんのエミーに似て居るなあと思つて御尋ねすると矢張りエミー小母さんの仔で、足利の高久さん(※日本犬保存会の高久兵四郎氏。後に日保と対立し、ライバル団体の日本犬協会メンバーとなります)の手を通して飼育される様になつたとの事であつた。
甲府と云ふ所は餘程舊知の犬に縁のある所だと思ふ。殊に田島さんはエミーの息子達の成人振りを見に一度は御訪問あつて然るべきだと思つた。
加藤氏はしきりに耳の立たないのを氣にされて相馬さんに其の理由を御訊ねになつて居た。少し運動不足の氣味もあるのであらうが、系統は争はれないものでターザンも亦他のエミー小母さんの仔と同様な體質、容貌を所有つて居るが育ちのいゝ點では今迄に見た兄弟中では一番かも知れない。
「エミーの仔がとても立派になつて居ましたよ」と東京に歸つてから田島さんに申上げたらそれこそ「ソコだよ君、吾輩の手で育てられた犬と他の犬の違ふ所は」とばかり又大いに自慢される事だらうなあと思ひ乍ら、荻原氏の所に向ふ。
小杉良和『甲府訪問記』より 昭和8年