廣島縣に於ける第一次流行は明治三十五、六、七年に亘り縣下各所に蔓延流行せるを初めとす。爾來終熄の狀なりしも、大正七年三月高田郡、吉田町、郷野村に各一頭を初發し、爾來各地に散發し、人畜の咬傷を受けたるもの尠なからず。
翌八年に入りて多少減退の傾あるも、依然として尚流行性を呈しつゝあり。これを第二次流行となす。
農商務省農務局 大正10年
廣島縣に於ける第一次流行は明治三十五、六、七年に亘り縣下各所に蔓延流行せるを初めとす。爾來終熄の狀なりしも、大正七年三月高田郡、吉田町、郷野村に各一頭を初發し、爾來各地に散發し、人畜の咬傷を受けたるもの尠なからず。
翌八年に入りて多少減退の傾あるも、依然として尚流行性を呈しつゝあり。これを第二次流行となす。
農商務省農務局 大正10年