Quantcast
Channel: 帝國ノ犬達
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4169

日本軍犬史解説の転換点・寺田近雄氏のレポート 1974年

$
0
0

帝国陸海軍 17 〈軍用犬=主として満洲事変〉(Gun誌連載記事)

寺田近雄著

1974年

 

哀れ軍犬は満洲の地に ―『満洲軍犬』とその時代(彷書月刊掲載記事)

原山煌著

2008年

 

日本軍犬史の解説は2種類に大別されます。

よく見かけるのが「軍事分野における犬の用法」で、「日本軍が如何に軍犬を運用管理したか」というミリタリー限定の視点。

もうひとつが「近代日本犬界における軍事分野」で、「民間犬界という基盤があって成立し得た軍犬界」を俯瞰する視点。当ブログは後者にあたり、近代犬界における猟犬や愛玩犬や牧羊犬や警察犬や闘犬や盲導犬や野犬と並列で扱っております。

三番目として、右や左の歴史論争に軍犬ネタを持ち出すセンセイも見かけますが、あれはアジテーションやポエムの類であって犬の歴史解説ではありません。基礎を見ずに建屋ばっかり論じている彼らは、犬に関して欠陥住宅みたいな思考しかできないんですよ。

 

では本題に入ります。

そもそも犬界関係者が編纂すべきだった日本の軍犬史は、不幸にもミリタリー界隈によって語られてきました。民間犬界を拠り所とする「宿り木」に過ぎない軍犬界が、まるで独立独歩・自立していた大樹であったかのように勘違いされてしまったのです。

日本の軍犬は、資源母体である民間犬界との共生関係にありました。犬を調達したい軍部と、ペットを売りたい民間人が、帝国軍用犬協会を仲介として犬を売買する。その供給システムを知らないと、「ミリタリー視点の軍犬史」へ陥るのです。

 

いっぽうで膨大な記録を有している犬界側も、奥歯にモノが挟まったような話しかしません。

関わりを避けているのは、戦時体制に協力した過去(軍犬報国運動や猟犬報国運動や畜犬献納運動など)を今更ほじくり返したくないのでしょう。せっかく全責任を軍部へ押し付けたのに、被害者の立場を返上するメリットなどありませんし。

国粋主義の時流に乗って和犬復興を図った日本犬関係者や、「畜犬撲滅」を新聞ラジオで煽っていたマスコミも、同じ意味で過去を直視したくない筈。

結果として、軍・民犬界の結びつきは「無かったこと」にされてしまいます。日本の軍犬史では武勇伝や運用管理面ばかりが取り上げられ、「戦時の15年間に亘り、東洋の島国がジャーマン・シェパードを大量調達できた理由」や、「飼育訓練、健康管理や医療、繁殖系統の知識をどうやって得たのか」という根幹部分を忘れた根無し草状態に陥りました。

 

この「ミリタリー視点の軍犬史」を時系列で遡ってゆくと、ひとつの源流へ辿り着きます。

それが、1974年にGun誌上に掲載された『帝国陸海軍』連載17回〈軍用犬=主として満洲事変〉』。あの寺田近雄氏が解説しただけあって、フォロワー達が教科書としてコピーを繰り返し、ゆえにミリタリー界の思考停止を招いてしまったほどに優れた内容です。

その影響力がどれ位かといいますと、以降の軍犬史が取り上げる内容、構成、解釈までもが同じなんですよね。

手本とする「教科書」の範囲が満州事変中心なので、後続も満州事変で足踏みを続けるばかり。

そこから先は自力で探索しなければ、第一次上海事変から始まる海軍犬史や、外地(南樺太・台湾・朝鮮半島など)の軍犬界、戦後に禍根を残した帝国軍用犬協会と日本シェパード犬協会の対立、日中開戦から敗戦へ至る犬界事情の推移などは解説できないのです。

 

日本の軍犬史だけではありません。この問題は、満州国の軍犬史についても同じです。「近代日本犬界」が知られていない以上、「満州国犬界」という概念すら存在しないのでしょう。

満洲軍用犬協会をハブとする満洲国・大連・青島の犬界ネットワーク、関東軍軍犬育成所の活動、満鉄警戒犬や税関監視犬まで取り上げたテキストは、『犬の現代史(今川勲著 1996年)』くらいでした。しかしこちらも満洲軍用犬協会をドッグレース事業だけで評するなどの偏向ぶりが玉に瑕。

 
寺田氏や今川氏の仕事を尊敬はすれど、私の指針にはなりません。両者の中間に位置する教科書はないものか。

「帝国の犬達」というブログ(「帝國ノ犬達」の前身)を開設したものの、方向性が定まらず悶々としていた2008年の夏のこと。漫画でも買うかと立ち寄った書店の棚に『彷書月刊』が置いてありました。おお、こんな所でも売っていたのかとパラパラめくっていたら軍犬の記事が掲載されているのを発見。

タイトルは『哀れ軍犬は満洲の地に―『満洲軍犬』とその時代』で、著者は満蒙史を研究されている原山煌氏です。

期待もせずにナナメ読みした後、当初の目的も忘れてレジへ直行。これはすごい。もしかしたら、俺にとっての新たな「教科書」となるかもしれない。僅か4ページの文章を、帰りの電車で繰り返し読みました。

彷書月刊だから古書の話が中心なんですけど、原山氏が提示される「古書」は満洲軍用犬協会報。つまりは軍・民犬界の交流窓口が解説の主軸です。

内地の軍犬報国運動は「絶対的に不足しがちの軍犬を日本内地から持ちこんで、大陸での諸任務にあてようとする動きの一環(原山氏)」、満州国のソレについては、「いずれも民間もまきこんで、優秀な軍用犬を効率的に供給する方向性に沿ったものであった(〃)」という解説に、内容の破綻や矛盾はありません。これだよこれ、俺が求めていたのは。

何よりも、自分なりの指針を得られたのは幸運でした。

やっぱりMKを調べないとダメかー。原山先生が苦心されたように、資料が少なすぎて関東軍や満鉄より難しい分野だな。先が思いやられるけれど、何とか調べてみよう。

それから10年間ほどアレコレ漁り続けた結果、少しずつ情報も蓄積されつつあります。たとえ小さな断片でも、集合すれば各々が意味を持ち始めることも知りました。もしもあの夏に『彷書月刊』を読まなければ、私の満洲国犬界史は未だ五里霧中だったことでしょう。

 

以上のように、お手本となる教科書の存在は大変ありがたいのです。しかしそれに依存している限り、一歩も前進できません。

「ミリタリー視点の軍犬史」はどうあるべきなのか、寺田氏のレポート内容を検証してみましょう。

 

2 

昭和9年、訪独した洋画家の長坂春雄とシュ翁の記念撮影。

シュテファニッツを知らない者がシェパード史を語る戦後とは違い、戦前の軍用犬関係者にとっての彼はまさに「犬聖」でした。

 

それでは、お手許にあるGun誌1974年12月号の70ページをお開きください。……とか言われても、そんな大昔の雑誌は図書館にも置いていないでしょう。

出版された1974年当時は私も赤ん坊でしたし、神保町の古書店でこの記事に出会ったのは大学生になってから。

イロイロと無理のある展開ですが、その辺はご了承ください。

 

【“戦利品でスタート”および“犬種と用法”の部分について】

教科書掲載の『犬のてがら』等によって、「血に飢えた戦闘犬」みたいなイメージを広められた日本軍犬。

寺田氏のレポートではここを修正し、軍犬運用法を「警戒犬」「伝令犬」「衛生犬(レスキュー犬のこと)」にきちんと分類しています。

しかし、伝令犬が陣地間を往復するための「補助臭気線」の仕組みが解説されていなかったり、衛生犬も「負傷兵を引きずって運搬」とかいう間違った内容が堂々と載っている(日本軍レスキュー犬は負傷兵捜索と救護兵誘導任務に特化しており、アルプスの救助犬みたいに負傷者を運んだりはしません)などの欠点もありまして、細部の記述は不正確。

 

シェパード、ドーベルマン、エアデールの犬種解説も、猟犬や牧羊犬としての視点は皆無。「もともとドイツ人は狩猟民族であり伝統的に平時から犬の優性化に努力しており、全く軍犬のために生れついたようなドーベルマン、シェパードといった民族犬を有していたために戦力化できた(寺田氏)」という解釈も誤りで、ただ単に「その国に使役犬の文化があったかどうか」というだけの話。需要によって牧羊犬や運搬犬や橇犬や猟犬が交配作出される過程で、治安や軍事にも応用されていったのです(日本犬は狩猟程度の用途しかなかったので、犬種改良は中~近世まで停滞していました)。

「民族犬」どころか、ジャーマン・シェパードは19世紀末に誕生した新しい品種。しかも作出者のシュテファニッツは「シェパードの任務は畜群監視、最重要なのは牧羊業務」と明記しているワケで、要するにドイツ牧羊犬群の最高峰を目指した犬です。続いて「警察犬へ!」のスローガンを掲げて治安分野への普及を図りますが、軍事分野への進出は第一次大戦勃発後。開戦前はドイツ軍から無視され、バイエルン猟兵連隊が数頭を買ってくれただけという悲惨なスタートでした。

反対に、牧羊業界が小規模な日本での「シェパードの大手就職先」は陸軍だけでした。人々が目にするシェパードも、軍事分野での運用が中心でした。

帝国軍用犬協会や日本シェパード犬協会は牧羊犬としての活用を模索するも、既にコリーとケルピーが独占状態。よって、日本では「シェパード=使役犬」ではなく「シェパード=軍用犬」のイメージが定着しました。

「ジャーマン・シェパード・ドッグ(「ドイツの羊飼いの犬」の意味)」の日本語訳を知らない軍事オタクが量産されたのは、この辺に起因するのでしょう。

 

帝國ノ犬達-アルグス 

大正11年の演習にも参加した陸軍歩兵学校のドーベルマン。もちろん野良犬ではありません。

 

陸軍歩兵学校の記述部分で、「吉田中佐が地方の野良犬を集めて小型車の牽引用に訓練し(大正)11年の陸軍特別大演習にも出場させている(寺田氏)」とかいう話も、研究開始した大正8年度と、研究内容が荷車輓曳から傳令任務へと移行した大正10年度をひと纏めにしただけ。

もちろん野良犬の集団ではなく、篤志家の寄贈を受けた獨逸番羊犬(シェパードのこと)やエアデール(英軍や露軍や警視庁が採用済み)やポインター(データ収集用)やカラフト犬(高評価)や秋田犬(失格)や土佐犬(失格)が歩校には揃っていました。

大正10年にはドーベルマン3頭も来日し、当時の東京朝日新聞には「陸軍特別大演習に出場」したドーベルマンが写真付きで掲載されています。あのドーベルマン達が北白川宮成久王の愛犬だと知っていれば「地方の野良犬云々」の記述は控える筈ですし、もしも野犬化するほどドーベルマンが大量輸入されていたとしたら、それはそれで大正犬界史を塗り替える発見ですよ(ドーベルマンの輸入本格化は昭和3年から)。

 

犬 

青島のドイツ人警察官と青島系シェパード(通称は青犬)。この写真でわかるとおり、警察犬として山東省へ移入された系統です。

 

歩兵学校の軍用犬研究が大正時代の数年間で完成できたのは、各国の第一次大戦軍犬レポートを入手できたことと(試行錯誤をせずに済みました)、青島系シェパードの「恵須」「恵智」が抜群の能力を発揮したおかげでした。よって、日本軍犬史の揺籃期においてはドイツ本国産シェパードよりも青島系シェパードを重視する必要があります。

ページ数やテーマの都合上、寺田氏は軍部と民間犬界の交流部分を削ぎ落しているのですが、これでは青島犬界の成り立ちやドイツ本国産個体への移行といった過程がさっぱり分かりません。

「戦利品でスタート」「日本軍が優秀な軍犬を手に入れたのは青島攻略戦で、それがドイツ種のシェパードであった」という寺田氏の記述につきまして、日本陸軍屈指のシェパード専門家・有坂光威大尉の証言に注目してみましょう。

私は一九一四年頃第一次世界大戦が勃発し、日本も連合国の一員として対独宣戦を布告し、青島を攻略したころ、日本に来たドイツの捕虜が、いわゆる青島犬と称せられる旧型のドイツ・シェパード犬をつれているのを見たことがあり、これらのうち少数のものが当時の日本軍人や一部の民間人に飼われたようです。

日本シェパード犬登録協会・有坂光威『シェパード犬の歴史的展開』より 昭和45年

目撃者本人が「あれは青犬だった」と断言している以上、大正3年の青島攻略戦と昭和5年前後のドイツ直輸入ルート確立を繋ぐ部分として、青島犬界と日本犬界の交流を明らかにしなければなりません。

青島シェパードドッグ倶楽部(TSC)と日本シェパード倶楽部(NSC)の果した役割が、ここでようやく満州事変へと繋がるのです。

 

 帝國ノ犬達-遺骨

奉天の獨立守備隊から神奈川県逗子延命寺へ届けられた那智・金剛の遺骨。後年になって奉天加茂小学校でも那智・金剛の遺骨なるものを発掘しており、2頭の遺骨が奉天と神奈川に4頭分存在する異常事態となりました(誰も気にしなかった様ですが)。

 

【“満州事変における軍犬の活躍”の部分】

レポートの冒頭で寺田氏が取り上げている那智・金剛・メリー。教科書にも載った那智・金剛姉弟は、青島在住の浅野浩利氏(TSC会員)が奉天獨立守備隊の板倉至中尉へ寄贈した青島系シェパードでした。ドイツ直輸入個体が高額・希少だった時代(満鉄経営陣が炭鉱警備犬を輸入しようとしたら、社内で大反対を食らったレベルの額)、近隣地域で供給可能な青島系は重宝されたのです。

日本シェパード倶楽部と青島シェパードドッグ倶楽部の交流は、日本シェパード界の発展に大きく貢献。歩兵学校軍用犬研究班メンバーもNSCに加入し、最新知識の習得に努めました(板倉中尉もNSC会員で、歩校訓練犬の調達でTSC側とも交流がありました)。

大陸生れの二頭が初めて日本を訪れたのは、満州事変で戦死した後のこと。那智・金剛の遺骨は奉天から神奈川県の逗子へ送られ、僚犬ジュリー號(メリー號とは別の犬)の慰霊碑「忠犬之碑」へ改葬されたのです。

日本軍犬のシンボルと化した彼らを宣伝材料に、日本軍は軍犬の配備を拡大。大量調達窓口として帝国軍用犬協会を設立し、民間犬籍簿の獲得を狙ってNSCとTSCを併呑してしまいます。関東軍にとっての青島は、シェパードの一大調達エリアと化しました。

このように、揺籃期のシェパード界と軍犬界は青犬のお世話になりつつヨチヨチ歩きを始めました。しかしドイツ直輸入個体が増えると共に犬界人は態度を一変。「青犬は山東省の雑種犬だった」などと恩を仇で返す切り捨て策をはかります。

小学国語読本の教材となり、日本軍犬の象徴と讃えられる那智・金剛を雑犬呼ばわりですよ。そんなシェパード界に対し、青犬を再評価した軍事オタクも見た事がありません。

那智・金剛姉弟の生涯など、本心では興味もないのでしょう。


 

満州事変において「大いに実績をあげる(寺田氏)」と評された日本軍犬。しかし当の関東軍は満州事変を振り返り、「当時の軍犬運用は失敗だった」と総括しています。

将來北支方面軍に活躍すべき軍犬幹部を養成するにあらずんば其の将來は懸念すべき事情多し。先に関東軍が満州事變後鐵道警戒及討伐のため獨立守備隊に軍犬を配備したるも、軍犬兵及幹部の軍犬教育之れに伴はざりしため、軍犬の認識を誤りたるのみならず、利用不十分にして一時其の聲價を失墜せしめたることあり。

事變尚鎮まらざる方面軍の現状に於て軍犬幹部の養成、軍犬兵の教育及軍犬の訓練補充は目下不可能なる實情ありと雖も、将來教育訓練、補充の圓滑なる實施の如何は直接方面軍軍犬の盛衰に関係する所極めて大なるものあるべし。

関東軍は此の間に立ち、北支方面軍に對し再び失敗を繰り返さしめざる如く教育、訓練、補充等に對し大乗的立場より之れを援助するは両軍共同作戦の見地より関東軍の一使命なりと信ず。

『北支方面軍ニ於ケル鐵道及沿線警備状況ト軍犬ノ利用價値並ニ所感』より、『其ノ三 関東軍トシテ北支方面軍ニ對スル態度ニ関スル所感』抜粋。

 

那智・金剛・メリーの宣伝手法は大成功だったものの、満州事変では管理不徹底で戦病死する軍犬が続出しています。組織的な教育訓練、ハンドラーの昇進制度、大量調達システムの一切が確立されず、当時は全てが中途半端。属人化もひどく、軍犬指導者の貴志重光大尉が転属後は後継者もおらず、奉天獨立守備隊は軍犬運用を縮小してしまいました。

この反省を踏まえ、専門教育機関としての歩兵学校軍犬育成所・関東軍軍犬育成所の設立、調達窓口としての帝国軍用犬協会・満洲軍用犬協会の強化が図られたのです。

 

帝國ノ犬達-誘導犬記 

陸軍省醫務局編輯『戰盲勇士の誘導犬記』より、日本シェパード犬協会から陸軍病院へ寄贈された盲導犬ボドとリタ。誘導される失明軍人は桝田准尉と平田軍曹。

 

【誘導犬の部分】

戦盲軍人誘導犬を取り上げた功績はすばらしいのひと言。70年代に『戰盲勇士の誘導犬記』を読んでいた寺田氏の博識と努力には驚嘆するばかりです。

しかし、陸軍盲導犬事業を支援した日本シェパード犬協会(JSV)に一切触れない理由は何なのでしょうか。

「東京第一陸軍病院第二外科の山県軍医少佐が指導し、テストケースとして輸入盲導犬を与え人犬一体の訓練を行わせた(寺田氏)」という解説では、ポツダム盲導犬学校との輸入交渉および導入訓練を担当したJSVの奮闘努力が伝わりません。

「盲導犬は欲しいがドイツ犬界との人脈も予算もない。代わりに輸入して」と民間丸投げをはかる陸軍省医務局に拝み倒され、私費を投じて輸入した盲導犬を軍部へ寄附してくれた功労者に対し、何という仕打ちでしょう。

ただ、この分野に関しては救いがあります。

東京第一陸軍病院の盲導犬事業を再発掘したのが、『日本最初の盲導犬(葉上太郎著 2009年)』。これによって、日本盲導犬界の悪癖である陸軍盲導犬の黒歴史扱いや(戦時中に民間盲導犬が活動していたり、近代的盲導犬のルーツが軍事用途という史実は都合が悪いのでしょうか?)、ミリタリー視点での誘導犬解説などは覆されることとなりました。

忘れ去られた戦時盲導犬へ、再び光をあてることができたのはうれしい限りです。

 

【軍犬解説の変質について】

軍犬の解説はもともとミリタリー界中心だったのでは?寺田氏はそれを踏襲しただけだろう?と思われるかもしれません。

しかし実際は違うんですよ。戦時中は、民間シェパードの調達窓口であった社団法人帝国軍用犬協会などが軍犬の解説役を担っていました。調達目的ゆえ、「資源母体たる民間犬界」と「調達運用側の軍部」の関係を強調した「軍犬報国運動」視点の内容だったのです。

日本軍犬の大部分が民間のペットを購買調達した個体であり、その将来は根幹たる民間犬界の成長如何に左右されるという事実を読者に認識させる。これが戦時の軍犬解説でした(枝葉に過ぎない軍犬武勇伝を報じるのはマスコミや出版社の役割)。

つまり、寺田氏ではなく原山氏の視点こそが「本来の軍犬史解説」なのです。

 

日本の軍犬解説は、戦前と戦後で全く異質なものと化してしまいました。もちろん寺田氏の責任ではなく、後続者が先駆者の仕事を深堀りすればよかっただけ。

しかしそれは為されることなく、1974年以降はコピペと思考停止の40年間が続きました。『犬たちも戦争にいった 戦時下大阪の軍用犬(森田敏彦著)』などの優れたテキストは登場しましたが、「教科書の妄信」にかけてはこちら側の読者も同レベル。結局は逆方面の思考停止を生み出してしまいます。

「戦前犬界はひたすら陰惨な暗黒期であった」「日本のペット文化は戦後に進駐軍が持ち込んだ」と妄想を垂れ流し、挙句の果ては現代の政治批判をオチに持ってくる始末。

その程度の知識で歴史裁判ごっこですか。たかだか二、三冊の本を読んだだけで、47都道府県と外地と満州国に広がっていた近代犬界を把握したつもりなの?

 

教科書は自力で前進するための指針に過ぎず、絶対的な聖典ではありません。誤りや新たな発見があれば改訂し、余白にメモを書き加えていけばよいのです。

 

しかし、大量の公的記録がある軍犬史でこの惨状。猟犬史や愛玩犬史や牧羊犬史や警察犬史や闘犬史、狂犬病史や畜犬行政史、動物愛護史やペット業界史、外地犬界や満洲国犬界、日本犬の歴史や日本の洋犬史は推して知るべしです。

右や左ではない、ニュートラルな思考回路で日本畜犬史を語れる奴はおらんのか。そもそもイヌは思想ごっこの道具ではないのだ。

……という締めへとコジツケたかったんですよ。ダシにされた原山・寺田両氏にとってはいい迷惑だったことでしょう。

失礼の多い拙ブログですが、今回ばかりは本当に申し訳ございません。

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4169

Trending Articles