中澤源之助、関本信、齋藤道氏およびワンコら自動車猟遠征隊の一行
大正九年四月十一日 茨城縣下舘附近田鴨猟
昭和八年四月十一日午前二時半頃、東海道本線下り四十二列車が沼津驛に到着した頃、同列車に載せられてゐた小荷物貨車係の車掌は部屋の隅に置かれてあつた輸送用の犬檻に犬の横死してゐるのを發見した。
最初、横たはつてゐる犬の姿は、只睡眠中の如く思はれたが、よく見ると犬の四肢が硬つたやうになり、底にむいた顔面が異常な表情を呈してゐるので、調べた結果判つたのである。しかし輸送先がすぐ間近かの草薙驛となつてゐるので、同車掌はその儘、放任して於いた。
かくて真夜中をまだやつと過ぎたばかりの真暗の草薙驛に斃死した犬は降ろされ、小荷物置場に保管された。
十一日を飛んで十二日、朝日新聞一面トツプの五段を抜く「ナンセンスか、新式犯罪か 託送中の犬の頓死、鐡道側大あはて 但しこの犬三千圓の保険付」云々の大見出しは、巧みに人々の好奇心をあふつて、筆者もそれに引きづり込まれた一人である。そして冒頭の輸送犬斃死事件はセンセーシヨナルな記事となり、数日に亘つて紙上を賑わしたのであるが、その裏には何があつたのか如何なる犯罪意圖が企てられてゐたのか?
千葉縣佐久間善作(四二)が、静岡運輸事務所を訪れ、愛犬の死に對し安全保険金三千圓を請求したのは十一日の午后であつた。鐡道側は餘りの高額に極度に狼狽し、縣刑事課に依頼して佐久間に事情を聴取すると共に、發送驛側に打電し、受付當時の事情を聴取する等、俄然問題は重大化するに至つた。
同時に犬の死體は静岡驛に運んで、同市南町獣醫辻弁吉氏の検視を乞うた。
鐡道當局が一畜犬の死に三千圓の賠償支拂の請求を受けて、疑惑の眼を受託人に向けたのは誰しも首肯される筋道で、何等特色のない平凡な畜犬の死に、三千圓の代償は、一般愛犬家ならざる素人に疑問と驚愕を持たせるのは當然である。
さて辻弁吉氏に依る検視の結果は、心臓麻痺の診定であつたが、氏の持つ大きな疑問は、かゝる高價な代償を要求する犬としては、餘りにその資格とかけはなれた貧弱なポインター雑種であつた事である。
氏は語る。
「死んだ原因は心臓麻痺と思ふが、モルヒネ類の薬品を使へば何等の反應も起さず、いきなり心臓麻痺を起すことがある。又犬は新しい首輪をはめてゐるが、首輪づれの跡がなく、どんなに高く見積つても三十圓か、たかだか五十圓位のものである」
同日又市川驛で犬を取扱つた同驛増田小荷物係につき、當時の状況を聴取した結果は「十日午后七時頃、犬を連れた労働者風の男が來て、これを、草薙驛へ託送して呉れと依頼。次いで託送者本人と称する四十歳位の紳士が現はれ、犬は三千圓位の價格があるので、要求賠償額の表示料十三圓を即座に受け取り、手續きをした。託送者及受取人はいづれも静岡市佐久間善作と認め、大事に頼むと云つて立去つた」と。
又千葉の運輸事務所では、佐久間の依頼した犬は同縣運送店篠崎三郎の手を経て送られた事が判明したので、直に篠崎三郎に就いて調査すると、「佐久間善作氏は千葉縣の人で、自分とは千葉中学時代一緒で以來懇意にしてゐる。問題の犬はポインター種で、私が永年育てゝ來たものであるが、四五日前朝鮮方面へキジ猟に行くからと、たつての懇望で譲つたものである。同氏は帝大法科卒業跡、中央大學か明治大學の講師をした様な人物で、そんな疑ひを掛けられる様な人物ではない。恐らくは、途中で殺しては惜しいと思つて保険をつけたのである」と佐久間に有利な證言であつた。
一方佐久間は獣醫辻弁吉氏の検視中、如何にも残念さうな様子で、始終見守つてゐたが、解剖申請と聞くや、悲しげに、同医師に次のやうな懇願を試みた。「自分は犬に對し恰も愛兒に對する愛情を持つてをり、愛する犬を解剖するには忍びない。何とか甘く計つて貰へないものか。鐡道賠償も這入る事もあるし、心臓麻痺と診断して無事に通して呉れゝば、充分の謝禮をする事も出來る」と。
しかしこの申出は単に彼への疑惑を深めるに過ぎなかつた。のみならず同氏に拒絶されるや、焼いて骨にして歸ると云ひ出したことは、検視に立會つてゐる人達に、毒殺の證拠いん滅を謀るものとの信念を強めさせて、彼の身柄は其場から拘引された。
かくて静岡署に留置された彼は十一、十二日と引き續き縣刑事課の取調べを受けたが、その結果朝鮮へ狩猟に出掛ける様な準備の全然ないこと、殊に懐中僅か二十五銭の所持金しかなかつた事實は、益々彼を不利に導いた。
同人は帝大出の法學士と自称するものゝ、生來山師的な所があつて、數年前山林ブローカーで數萬圓を儲けたこともあつたが、それも忽ち使ひ果し、今度朝鮮に行くのもキジ猟が目的ではなく、借銭の追及から遁れる爲めであると判明した。
だが同人が飽くまで紳士的の風采であること、及び現静岡縣内務部長安藤京四郎氏、前知事鵜澤憲氏が知己であるといふ供述は、尚幾分信を置くべき餘地もあつて、直に彼を保険金詐欺目的の畜犬謀殺犯人として検挙する譯にはならず、再び解剖をやり直して、真偽を確かめることになつた。
この再度の解剖は十二日午后三時より縣衛生試験室において横山、永井両縣技手執刀のもとに慎重に行はれたが、その結果、犬の屍體に次のやうな異常の數々が發見された。
一、気管支の口腔出血
二、左腋部二ヶ所卵大の内出血及び左腹部に拳大の皮下筋肉溢血
三、腸の内部より糸にて縛りたる紙包みを摘出
四、心臓内部に多數のヒラリヤ蟲の寄生して居ること
しかし、一及び二は心臓麻痺の直接原因となる様なものでなく、どうしても死因は三の糸に巻かれた紙包か、第四のヒラリヤ蟲になければならない。そこで第三の紙包は直ちに薬物検査に附されたが、薬物検査は薬物反應を調べるため時間がかゝつて、おいそれといふわけにはゆかぬ。
はがゆい思ひで待つた薬物検査は、翌十三日に至つて判明。果然託送した犬は毒殺と決定、巧妙な新手の保険詐欺であることが判明した。その紙包の中には劇薬エツキストランが包まれてゐたのである。このエツキストランは兎とか犬とかに與へればたつた二三分の間に悶死すると云ふ劇薬である。佐久間はあらかぢめ時間を測定し、犬が列車中に運び込まれた後、自然と胃の中で解け得る様に用意周到に紙包にして嚥下させたんであつたが、それがはからずも、犯罪事實の證拠となつたのであつた。
そして取調べの結果、篠崎も共犯であることが判つた。
『三千圓の犠牲となつて、哀れポインターの死』より
東京の圓タク運転手は犬ずきが多い。僅か三日間の滞在中犬を連れて六回圓タクの世話になつたが、申し合せた様にシエパード犬に就いて可成の知識を持つてゐた。
道中犬に関して色んな話をしてゐる内に早や目的地に着いてしまう。こちらも氣が楽だし運転手も喜んでゐる。
無言で運転する事程淋しいものはない相であるから、運転手君たるもの話上手に鎌をかけてお客に話させる一つの世渡り術であるかも知れぬが、愛犬を誉められて悪い氣持ちのする愛犬家つてのもあるまい。お目出度い方が揃つてゐるから。
結局運転手君が愛犬家であつたかどうか知らぬが、商賣上手である事は事實である。
世は非常時である。
シエパード犬を唯趣味として飼ふ時代は過去つた。實際使へるいぬとして飼育するのが目下の急務である。目標はシベリヤにある。耐寒耐熱のシエパード犬でなければものゝ役に立ちそうにない。
お座敷犬では駄目。もつともつと前胸の張つた厚味のある力強い犬でなければ耐へ得ないであらう。此の點内國産犬を観て痛感した。
瀬戸口弘『高麗狗随筆』より 昭和11年4月11日
平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より
昭和17年4月11日診察