日本のブルドッグは明治初期に渡来、しばらくは闘犬家から狙われたり(当時の日本人はブルを闘犬種と勘違いしていました)と散々な目に遭いつつ大正~昭和初期にかけて愛玩犬として大流行します。幾つもの愛好団体が設立されますが、ブームが去った昭和11年に警視庁へ飼育登録された東京エリアのブルドッグは216頭のみ。以降の戦時体制下で姿を消していきました。
「戦前日本ではフレンチブルドッグが主流だった」という説もあるようですが、実際に当時の写真や愛好団体の記録を見るとフレンチブルは少数で大部分がブルドッグです。
……私も戦前に来日したフレンチブルやパグの記録を15年ほど探し続けているのですが、ブルドッグやボストンテリアと違ってなかなか見つからないんですよね。
それでは、戦前の日本でブルドッグを飼育していた山崎さんの解説を。
こちらは関東大震災があった大正12年の広告より、神奈川で飼われていたヨシダケッパー号。ミカドケンネルは東京・長野・静岡および神奈川に存在しており(東京と神奈川が同系列店なのかは不明)、戦後には「ワシントン」と改名して営業を続けた息の長いペット商でした。
乳離れの頃、即ち生後五、六十日目に脂のない牛肉を刻んで與へると、體が太くなると一般に云はれてゐる。ブルは御承知の通り餌を噛まずにガク〃呑むので、仔犬には消化のよい物を給し、肉は細かく切つてやる必要がある。仔犬の給食は、必ず一頭づつ別の器でやることで、一緒に食べさせると、互に急いで競争するので面白くない。食餌の分量は犬を太らせる必要上餘計にやるがよい。
與へ方は、はじめ三、四ヶ月頃には少量づつ日に六、七回與へ、半年になつたら四回位とし、特に肉と石灰は餘計やることが大切である。なほ顔の骨の發育を扶けるために、大きな骨を齧らせることも忘れてはならない。
運動としては、自由運動をよくさせることで、紐付で無理に引かせると肢が曲がり、胸の邊がひろくなるから、ブラブラ氣儘にやることで、強制的に引かせぬやうにする。
しかし六、七ヶ月後となり、骨が完全に固まつたと見極めがついたらば、肩と腰を作るために引運動もよく、駆けさせることも必要である。
山崎茂『ブルドツグ』より 昭和12年